本当は怖い愛とロマンス


次の日の朝、俺の携帯電話には、奈緒の着信と中田からのメールが入っていた。
奈緒は、あの時は、俺が来ないという事を一度は納得したものの、諦めきれなかった様だった。
中田は、谷垣が昨日言った通り、俺が風邪でリハーサルを休むという事を心配し、明日のリハーサルの予定を修正した内容が、メールに書かれていた。
俺は、中田にだけメールを直ぐに返信したが、奈緒の連絡は無視したまま、昨日、谷垣に貰った住所のメモを頼りに、自分の車のナビに住所を入れ、目的地に車を走らせていた。
ナビ通りに、目的地に着くと、見覚えのある風景がそこには広がっていた。
俺が、二週間前、西岡と偶然出くわし、酒を飲んだ「sometime」という店に辿り着いたのだ。



俺は、何かの間違いだと思い、車を近くの駐車場に停めて、何度も場所を確認したが、住所に間違いはない。
俺は、仕方なく、諦めて、書いてあった住所通りに、その店のドアを開けると、店内は、この前来た時より、ガラリと雰囲気が違っていた。
昼間は、夜とは客層は違い、喫茶店として営業しているようだった。

店員の「いらっしゃいませ」という声と共に、ふとカウンターに目をやると、そこには、誰かと待ち合わせしているような客が1人座って、コーヒーを飲んでいた。
よく目を凝らして見ると、見覚えのある横顏だった。


「渚?」

俺がそう呟くと、その横顏が、俺の声に反応して、ふと正面を向いた。

まぎれもなく、その客は、渚だった。

目と目が合って、数秒間見つめ合っていると、俺だと解ると、見る見る渚の顔色が、変わっていく。
横にあった鞄を掴むと、慌てて、財布からお金を出して、カウンターに置くと、店を出て行こうとしていた。
俺の横を渚がすれ違おうとした瞬間、この状況を考えるよりも先に、渚の腕を掴んでいた。

「待ってくれ…」

そう言った俺の顏を、渚は、上目遣いに睨みつけて、腕を振り払うと、躊躇うことなく店を出て行った。


直ぐに、俺は、渚の後を追いかけた。
店の外に出て、辺りを見回すと、1人で歩いている渚の背中を見つける。

「悪かった!俺、あの時、自分の事ばかり考えて、お前の気持ち考えてやる余裕なくて…優しくしてやれなくて…今日まで俺、ずっと、いなくなったお前の事、心配して、探して…」

渚の背中に向かって、俺は、周りの俺を見て振り返る通行人の視線も気にせず、あの時の後悔の言葉をただ、必死で大声で叫んでいた。
自然に、会えた嬉しさで涙も頬に流れている。

それでも、渚は、後ろを振り向かずにどんどん距離は遠くなっていった。

俺は、今、逃げる渚を必死で追いかけて、柄にもなく謝って、泣いたりもして、引き止め、醜態をさらしてる。

情けない。

こんな男にだけは、なりたくないってずっと思ってた男に、今の自分がなり下がっている。
こんな時、俺は、本気で好きになった女の前では、気の利いたかっこいいセリフさえも全く浮かんでもこず、大観衆の前でスポットライトを浴びる自分にもなれず、肩書きや名誉なんて、何の意味もなさない。
俺は、何もないただの男だ。


そう思った時、俺は、追いかけるのを諦めて、足を止めた。
その場に立ち尽くしたまま、下を俯くと同時に、涙が地面に一滴、二滴と流れ落ちていた。

しばらくすると、目の前に、ハンカチを差し出す細い指先が見える。

お礼を言おうと、顔を上げると、そこには、去っていったはずの渚が立っていた。

「ダメですよ。日本を代表するミュージシャンの本木佳祐が、こんなところで、こんなかっこ悪い姿見せちゃ…本木さんに憧れてるファンが、幻滅しちゃいますよ。」

その渚の言葉に、俺は、取り囲んでいた人の目もはばからずに、渚を抱きしめて、何度も「ごめん」と謝っていた。


渚の前では、俺は、かっこいい男には、いつまでたってもなれない気がする。
だって、彼女が戻ってくれてきただけでも、今の俺は、胸が痛くて、嬉しくて、こんなに涙が溢れてきて、止まらないんだ。

周りを取り囲んだたくさんの野次馬の隙をついて、渚は、目線で「逃げよう」と合図をすると、俺の手を引いて、全速力で走っていた。
しばらく当てもなく走った後、逃げた道の先で公園を見つけ俺達は、そのまま公園に入り込んだ。
公園に入った途端、渚は、俺の手から握っていた手を離すと、はしゃぎながら、目の前のブランコに一直線で走り、嬉しそうに漕ぎ始めた。

「せっかくだから、久しぶりに、本木さんも、一緒にブランコ乗りませんか?」

そう渚は、子供の様な笑顔で俺に言った。
俺は、男として、あんな情けない姿を見せた後だというのに、今更になって、自分の周りへの視線が、冷静になると、急に恥ずかしくなってきた。

「いいよ。俺は…恥ずかしいから。」

その言葉にブランコを地面に足をついて止めてから、ブランコから降りると、照れる俺の腕を掴んで、無理矢理、さっき乗っていたブランコの近くに立たせた。


そして、渚は、ブランコに座って、後ろを笑顔で振り向くと、言った。

「じゃ、押してください。」

俺は、そのまま渚の言う通りに、背中を押し始めた。

「なんで、あの店に、本木さんがいたんですか?」

「俺は、谷垣さんに…いや、事務所の社長に、俺が泣いてるの見て、何処でお前がいるって聞いたかわからないけど、あの店の住所が書いた紙渡されてさ。そしたら、店にお前がいて…孝之の事件のニュース見て、犯人の中に隼人の写真がなかったから、もしかしたら、渚になんかあったんじゃないかって、ずっと心配してて…だから、俺、お前の姿見つけた時、嬉しかったんだよ。」


渚は、その言葉に急に、足でブランコの動きを止めると、俺の方を振り返って言った。

「本木さんは、私の事なんて、何にも知らないくせに、なんで、そこまで私なんか…もう、私の事はほっといてください…」

渚は、ブランコから降りると、そのまま立ち去ろとしていたのか、ゆっくりと出口に向かって歩き始めた。

きっと、渚は、また、俺の前から消えるつもりでいたんだって思う。

だから、あの時、俺の中にある自分の気持ちをこれ以上、黙っている事なんて出来なかった。

きっと、少しでも躊躇ったら、渚が俺の前に今度こそ、二度と会えないような気がしていたからだ。

そして、何より、去っていく渚の足を止める方法はそれしかないと思った。



「そんなの…できるかよ…」

小さい声で呟いた俺の言葉が、微かに渚にも聞こえていたのか、渚は、足を止めて、俺の方を振り返った。

「俺は、お前の事が好きなんだよ。」

真っ直ぐに渚の目を見つめる。
しかし、その目に見つめられる事を拒むように、咄嗟に目線をそらした。

その時の渚の一瞬した悲しい顔を見てしまい、俺は思った。

ああ…やっぱりか。って。


俺は、家を出て行く前に予めポケットに入れていたLIVEのチケットを取り出すと、それを渚の手に無理矢理、握らせた。

「これ、前、約束してた俺のLIVEのチケット。」

「私…こんなの!受け取れません!」

「嘘だよ。」

「えっ?」

「お前が好きだっていうの。さっきのあれ、そういう意味なんかじゃないよ。それが理由なら、受け取らないなんて言うの止めろ。」

「でも…」


「俺、その日、会場でお前の事待ってるよ。その日、時間空いてるなら、来てくれよ。前の座席のチケット獲るの、俺でも結構、苦労したんだからさ。」

そう言うと、渚の手から、自分の手を離した。

渚は、チケットを手でしっかりと握りしめて、どこか考え込んだ様に、困った顔をする。

その後、何事もなかったかのように、俺と渚は、その話題を蒸し返さずに、公園で、そのまま別れた。

1人になった俺は、思った。

何で笑ってんだよ。

何が冗談だよ。

結局、俺は、土壇場で傷つくのが嫌で、ビビって逃げただけなんだろ。


俺は、一人で笑顔を浮かべ、そんな言い訳に突っ込んでしまう。
本当は、渚の俺の気持ちを聞いた顔をみた後、咄嗟に自分が傷つく事を恐れて、必死に誤魔化し、ずっと取り繕う自分がいた。
俺は、何よりも、自分が傷つく事が恐 ったんだ。
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