本当は怖い愛とロマンス
シャワーを浴びて、リビングに戻るや否や、俺は、洗った皿をふきんで拭いていた奈緒を見て、言った。

「なぁ、奈緒…」

その声に振り向いた奈緒は、不思議そうな顔をして、俺の顔を見つめる。

「もう、ここには来ないでくれ…俺は、お前じゃ駄目なんだ。」

俺は、さっき強く噛んだ腫れ上がった歯型の跡を奈緒隠すように、左手で咄嗟に右手を覆った。

そして、奈緒からバツが悪そうに目をそらす。

何秒間かの奈緒が作り出した静寂は、俺の心をより一層締め付けた。

たった数秒間の静寂が教えてくれたのは、奈緒の弱々しい泣き声が全ての答えを導き出す。
反らした目線を戻した時には、瞳にたくさん涙を貯め、下唇を噛み締めた奈緒がいた。
奈緒は、俺にめがけて、右手に握っていたふきんを勢いよく投げた。

「馬鹿!」

その一言と共に、奈緒はソファに置いていた鞄を急いで、手で掴んでいた。
そして、頬を伝っている涙を腕で乱暴にふきとった後、足早に家を出て行った。

俺は、その場に立ち尽くしたまま天井を見つめて、大きなため息をつく。

そして、これでいいんだと何度も自分の心に言い聞かす。

こんな事を続けても、この先奈緒を本気で好きになれる保証なんてない。

それは、わかるんだ。

中途半端な優しさで傷つけるなら、もう二度と会いたくないと思うくらい嫌われてしまった方がいい。

そう思った瞬間、最後に会ったあの日の渚の顔と言葉が脳裏に浮かんだ。


俺と奈緒は、同じだ。

そして、俺と渚もきっと、確かに感じる胸を突き刺す、この痛みを渚もあの時感じたはずだ。

嫌われても、拒絶されても、振り向いてくれなくても、いつでも、気持ちが先走って、それまでの傷なんて、好きな人の顔を見ただけでどうでもよくなる。

他の人なんか、目に入らないくらい、頭の中は相手の事でいっぱいで、一喜一憂したり、自分らしくない事ばっかりしてしまう自分もいたりする。

立場わ違えど、俺たちは、きっと、合わせ鏡の中にいる。

お互いがお互いの気持ちを痛いくらい解ってるはずなのに、傷つけあってしまう。
誰かが、傷つかない方法なんてあるんだろうか。

きっと、こんな時くらい、傷つけた奈緒の事を想った方がいいのかもしれない。

でも、俺の頭の中には、渚の顔が浮かんでいた。






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