フキゲン・ハートビート
0.雨粒エイトビート
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「――これ、使えば」



雨音のなか、灰色の空を見上げながら下駄箱で立ち尽くしていると、突然うしろから心底かったるそうな声が聞こえたのだった。


「え……」

「傘ないんだろ」


ふり返った先には、黒い学生服に身を包んだクラスメートがいた。
といってもほとんどしゃべったことのない男子だ。

なぜか彼は、制服よりももっと深い、漆黒の傘をこっちに差しだしている。


「でも、半田(はんだ)くん……も、傘ないと困るんじゃないの?」

「べつに」


なにがべつになんだろう。
こんなザーザー降りの雨のなかを手ぶらで飛びだせば、すぐにでもずぶ濡れになってしまうに決まっているのに。

ふと、あたしの両目と同じくらいの高さにあるつり目が、ふいっと面倒くさそうに逸れた。


「……早く帰りたいから、さっさと受け取ってくんない」


あたしが傘を受けとらないという選択肢がどうやら彼のなかにはないらしい。

ちょっと威圧的で怖かったし、これ以上は言いあうのも面倒で、仕方がないので黒くて大きな傘を受けとってみた。


思ったよりもうんと重たい。

普段、こんなに大きな傘をその細い体で支えているのかと思うと、なんだか少し笑いたくなってしまうくらい。


「あ……! ありがとう……助かりますっ」


すでに雨のなかに飛びだそうとしていたその横顔が、ちらりと瞳だけでこちらを見た。


「……それ。面倒だし、返さないでいいから」


そう言うと彼は行ってしまった。

大きなしずくを跳ねさせている黒い制服が見えなくなるまで、あたしはどうしても、その姿から目が離せなかった。



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