手の届く距離
確か、かなっぺは歩きで帰れるはずなのに、不思議に思って声をかける。

「どしたんすか。自転車に通勤に変えたとか?」

「こういう時に、安全安心に送ってくれそうなの川原君かなって」

先ほどまで男三人と言い合っていた強気な気配はなく、かなっぺは可愛らしく首を傾げてくる。

歓迎会から先、好意を寄せてくれているのは知っているが、由香里と付き合っている話をしたら、あっさりアプローチはなくなっていた。

物分りのよさに感謝していたのに、先ほどのやり取りで別れたのがわかったからといって、フリーになったとわかった瞬間からアプローチ解禁って積極的すぎやしないか。

肉食系女子という言葉を思い出して、今更ながらかなっぺの足止めにかかる。

「男はみんな狼呼ばわりしたじゃないっすか」

「川原君なら悪い狼を撃退してくれそうだし」

「家まで歩いて10分って言ってませんでした?近いから大丈夫でしょ。今までも一人で帰ってたんすから」

「無粋だなぁ。10分の間に何か変わるかもしれないじゃない。川原君が私の色気にグラっときたり」

無条件の信頼と力強いアプローチを受け、女性のお願いを無碍に断る理由も見つからず、こんな深夜まで頑張って働く彼女を少し送るくらい、バチが当たらないと思って条件付で了承する。

「原付じゃ2ケツできないし、スキル的にも危ないんで、歩きでならいいっすよ」

「もちろん、よろしく」

被ったばかりのヘルメットはそのままに、原付を手で押しながらかなっぺと並んで歩き出す。

軽い足取りで小さなカバンを振り回しながらかなっぺの機嫌は至極よい様子。

「川原君、フリーになったんでしょ?またメールするけどいいよね」

明らかに意識した視線を向けられるのを喜ぶべきなんだとは思うし、関谷さんに据え膳は喰えって言われそうだが、原付分離れている距離を楯に目を逸らす。

「あの、気持ちは嬉しいっすけど。今まだ、そういう気分になれないんすよ」

伝える言葉に嘘はない。

やっと由香里の怒涛の連絡から解放されて、胃痛も治まった。

これから、スタート地点に立つ準備をするところなのだ。

「わかった。でも、立候補しておくから。川原君、競争率高そうだし」

かなっぺ内で、やたらといい男だと認識されている分、過分な評価に居心地が悪くなる。

「そんな風に言ってくれる人いなかったんで、今人生最高のモテ期だと思うんですけど、ホント、ちょっと今は無理っす。すみません」

「そっか、結構勇気出して誘ったのに」

足を止めず原付をすすめながら、もう一度かなっぺに頭を下げる。

気にした様子もなく、かなっぺは嬉しそうにぴったり隣を歩く。

何を言われても、謝り倒すしかない今のしょぼくれた根性は、まだ建て直しの目途も立っていない。

タイミングがよければ、と思わないわけではない。

こんな風に無条件に好意を向けられて、悪い気はしない。

正直な話、少しだけ、ほんの少しだけ、気持ちが向いた。

簡単に捨てられるくらいの重みのない男だったのに、価値があると言ってくれるのだから、傷ついた自尊心は救われる。

関谷さんじゃないけれど、腐っている気持ちを癒してくれるのは、確かに甘い空気や女なのかもしれない。

人の気持ちなんてそんな簡単なものだ。

一瞬落ちた沈黙に、愚痴がこぼれた。

「うまく行かないっすね」

「人生そんなことばっかりだよ。でも、一浪した理由が川原君との出会いのため、だったらちょっとドラマチックだと思うな。そうじゃない?」

かなっぺは同じ大学の同じ学年だが、一つ年上だ。

女は都合よく、自分が気持ちいい設定に酔う。

由香里や妹を見ていると、まさにそういった感じた。

残念ながら、そんなに都合のいい思考回路にはなれない。

「好きに夢見てもらったらいいですけど、今の俺に何か期待されても・・・」

たぶん、まっさらな気持ちで、彼女が欲しいモードなら遠慮なく食いついたところだが、今の俺にはその瞬発力も気力もなかった。

キツイ言い方をしてしまった自分の物言いを後悔しながら、かなっぺを盗み見る。

「ごめん、もう言わない。けど、川原君の身体能力を見込んで、ちょっと付き合って欲しいことがあるんだ。お願いできないかな」

両手を合わせてかなっぺが真面目な顔をする。

必死な様子に、一休さんよろしくヘルメットをコンコン叩いてみたが、うまい断り文句も浮かばず、曖昧に頷いた。

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