10回目のキスの仕方
* * *

 そんなことはない。圭介はやはり優しい人だと思う。好きだとは言えない自分を、そのまま真っ直ぐに受け止めてくれようとしている。

「…そんなことないですよ。」
「…松下さんは…って…あ、呼び方、変えてもいい?」
「え…?」
「美海、って。」

 さらりと口にされた下の名前。それが特別な響きをもって聞こえる。耳が熱い。

「名前の意味は?ずっと気になってた。」
「…父と…母が出会ったのが、とても美しい海だったそうです。だから…。」

 自分の表情が落ちていくのがわかる。とても安心できる人の腕の中にいるのに、心はとても温かいのに、その芯だけ冷えているような感覚が少し蘇ってくる。

「二人の思い出が託されてるわけか。」
「…そう…なんです…。」

 声が震えた。本当のことを、いつか圭介に伝えることはできるだろうか。

「美海も、できるなら呼んで。」
「え…?」
「いつまでも浅井さんじゃ、味気ないから。」
「えっと…下の名前でってこと…です…よね…?」
「うん。」

 目の前の圭介は真顔だ。美海は意を決して口を開いた。

「えっと…あの…圭介…くん…?」
「あ、意外にくんかぁ。さんでくると思ってた。」
「え、あ、し、失礼ですね!すみません!」
「いや、全然失礼じゃない。くんでいこう。」
「…頑張り…ます。」
「…頑張りすぎは気をつけて。」

 優しい言葉に、今は甘えていたいとそう思った。美海の方から少しだけ体重を圭介の方に預ける。

「え…?」

 頭上から慌てたような声が下りてきて、美海は小さく笑った。

「…俺が慌てるのを見て笑ってんの?」
「…珍しいなって思ったので、つい。」
「慌てさせた張本人のくせに。」

 甘えると、その甘えをあまりに優しい空気で許してくれる。美海は目を閉じて、その幸せを噛みしめた。
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