掠れた声で囁いて




「……そろそろ出ようか」


 もう?と思って時計を見るといつの間にか、お店に入ってから一時間経っていた。


「……そうですね」


 驚きながら、とりあえずそれだけ言った。
 別れるのは惜しかったけれど、寄る所があると相模さんが言っていたことを思い出した。わがままは言えないと押し黙る。
 相模さんは付き合ってくれたお礼と言って、私の分まで纏めて払ってくれた。
 今まで割り勘しかしたことのない私はプチショックだった。
 だけどまぁ、ここはお言葉に甘えて奢ってもらった。なんとなく、大人の階段を上ったような気がした。


「あ、駅まで送ります」

「いいよここで。道覚えてるから気にしないで」


 相模さんはにこやかに笑って、それから帰ろうとする。

 甘い香りが離れていく。声が遠い。


「さ……相模さん!」

「なに?」


 思わず呼び止めた声に相模さんは振り返ってくれた。


——ああ、好きなんだ。


 また、自覚させられた。


 できることならば。

 その胸に思い切り飛び込みたい。
 その骨ばった手に頭を撫でられたい。
 その甘く低い声で、愛の言葉を囁かれたい。

 だけど。


 視界の隅にけーくんのまぁるい目が映る。

 まるで、パパ奪るんじゃねーよと牽制しているよう。


 私は一瞬目を伏せて、それから笑顔を作った。



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