唯一の純愛
逃避の果て
妻にとって、息子は宝物であり、心の支えでした。
息子がいたから、悲惨な結婚生活にも、その後の義父の辛辣な言葉にも耐える事ができた。
妻はいつもそう言っていました。

そんな息子を連れ、旦那の元から逃げ出した妻ですが、そこに安息はありませんでした。

義父は妻の障害を理解しませんでした。

前述したように、妻の障害は見た目には軽度の障害です。
実際、行政の判断も深刻な障害ではないというものでした。

障害者手帳こそ発行されたものの、介護は必要としないと判断されていました。

歩行器があれば歩ける。
掴まる場所さえあれば立っていられる。
手足が麻痺してるわけではない。

確かに、そう聞くと大した障害ではないように聞こえます。
病気自体も死に至る病ではありません。

しかし、それは飽くまでも、知らないから言える言葉です。
実際に傍らで見ていれば、妻の障害がそんなに甘いものではないと理解出来ます。

四肢を思い通りに動かせないということは、ちょっと躓いただけでも、体制を立て直せずに転倒します。
もちろん受け身もとれません。
それがどれだけ恐ろしい事か、正常な想像力があれば容易く理解出来るはずです。

死に至る病ではありませんが、間接的な死の恐怖は、常に付き纏います。

私も何度か、コケそうになった妻を咄嗟に抱き留めた事があります。

もし、そこに私がいなければ、妻は頭を強打し、その場で大怪我、下手をすれば死んでいたかも知れません。

健常者ならば当たり前に出来る事、例えばシュークリームを食べる。
それすら妻には困難な事でした。

力の加減ができず、握り潰してしまうのです。
さらに、手が震えるので、クリームを辺りに撒き散らします。

もちろん卵を割ることすら出来ません。

これを、介護の必要無しとするのは、乱暴すぎるのではないでしょうか。

トイレも場所を選びます。
洋式便器で、歩行器ごと入れる広さが絶対条件です。

エレベーターのない駅では、ホームを渡る事も出来ません。
そのような駅は、田舎の小さな駅ですので、下手をすれば駅員も常駐してるとは限りません。
必然的に、妻はその駅を利用出来ません。

他にも、世の中はまだまだバリアフリーとは程遠い施設が沢山ありす。

本当に妻には介護は必要無かったのでしょうか。

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