今宵も、月と踊る
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月渡りの間に置かれた灯籠の光がゆらゆらと不規則に左右に揺れている。
日本古来の伝統方式を凝らした橘川家の屋敷において、隙間風は防ぎようがなかった。
夏場は良いが冬になると月渡りの間の床は、足袋越しでも感覚が鈍くなるほど冷たくなる。秋口の今ですら、吐く息には白いものが混じっていた。
まともな暖房器具がないと顧客からはたびたび不満の声が上がっているが、俺は時代に取り残された古びた空間が気に入っていた。
……自然に近しい環境ほど、月と一体になれる。
今月の“月天の儀”が終わったばかりだというのに、俺は月渡りの間でひとり精神を集中させていた。
こうして座っているとこの世には絶望しかないと思い込んでいた子供の頃を思い出す。
“カグヤ憑き”の教育の一環として、わずかな食料と生活用品と一緒に放り込まれた山には自分以外頼れる者は誰もいなかった。
社会から隔絶された環境に置かれること一週間。年端のいかぬ子供の体力に、限界が近づいてきたその時だった。
……息を呑むほど美しい光景だった。
空には眩いほどに星が輝き、月の神気によって発光した草原が風を受けて波打っていた。月の神気は生命の危機に瀕した俺が無意識に呼んだものだった。
何もかもが嫌になっていっそのこと死んでしまおうかと思っていた当時の俺は、涙が止まらなくなった。
神は本当にいるのだ。俺の拙い祈りは届いていたのだ。
疑いようのない真実は一つの結論を導き出す。
……神がいるなら、“カグヤ”もどこかにいる。
伝承でしかなかった“カグヤ”の存在に初めて確信が持てた出来事だった。