今宵も、月と踊る

「志信様!!」

騒ぎを聞きつけた使用人達がぞろぞろと現れ、部屋の惨状に目を覆う。

「片付けておけ」

そう言い捨てて、風呂場へと向かう。ガラスを割った時に切った手から血が滴り落ちていたせいで、血だらけになったシャツを脱ぐ。

傷口にガラスが混じっていないことを確認して力を使って血を止める。これくらいの小さい傷なら、直ぐに治せる。厄介なのは心の傷だ。

小夜を失った俺の心はガラスよりも脆くなってしまった。

ハハハと渇いた笑いを浮かべながら洗面台の鏡に映る間抜け面を拝む。

しかし次の瞬間、己の身体に起こった異変に目を見張った。

「橘……?」

左の胸元、鎖骨の下辺り。凛と咲き誇る橘の花は昨日まで小夜の胸にあったものに違いない。

“カグヤ”の胸に咲いているべきものが、なぜ俺のところに?

(まさか……小夜が……?)

でも、どうやって?

橘を取り出す方法は文献を読み漁ってもどこにも記述されていなかったのに……。

いや、それ以前にどうして俺が橘を必要としていることを知っていたんだ。

本宅に真尋がいるのはこの家では公然の秘密だ。

小夜の世話に当たっていた使用人の口が滑って、真尋のことが伝わったとしてもおかしい所はない。

だが、橘の件は違う。

俺はただの一度も小夜に橘の必要性を説いたことはないし、橘を取り出すために協力して欲しいと頼んだこともない。

……橘を渡すよう小夜に吹き込んだ者がいる?

直感は第三者の介入があったことを告げていた。

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