『好き』と鳴くから首輪をちょうだい
椀を再び取り上げ、蛤を食べる。
咀嚼を繰り返していると、瞳に溢れた涙が椀の中に落ちた。
静かな空間で、その小さな水音が響いた。


「飼うって言ったくせに、な」

「うん……」

「捨てちまうなんて、な」

「うん……」


少しだけしょっぱくなった吸い物を啜る。
椀の中身を見計らった眞人さんが立ち上がった。その背中を思わず掴む。


「なんだよ、準備、できないだろ」


こちらを振り向かないまま、眞人さんが言った。その背中に縋る。


「一緒に、食べて」

「そんなことしてたら、料理を出すタイミングがズレる」

「煮えすぎちゃっていい。冷めちゃっていい。だから、お願い。今日くらいは、飼い犬と一緒に食べてよ。最後、なんでしょ?」


涙で濡れた声は、何度も掠れた。


「おねがい、眞人さん」

「……お前はいいのか、クロ」


眞人さんが、部屋の隅っこに顔を向けた。
四人掛けのテーブルに一人座り、蛤を突いていた梅之介が、私の視線に気が付いてぷいと顔を背けた。
怒ったように言う。


「いいに決まってるじゃん。景気の悪そうな顔したそいつと二人きりでゴハン食べるなんて、楽しく無いもん」

「……そうか。じゃあ、ちょっと待ってろ」


小さく笑って、眞人は厨房に戻った。
少しして、幾つかの食器を乗せたトレイを抱えて戻ってくる。その中にはビール瓶もあった。


「勝手にとって食え。俺も飲む」

「あ、いいな。僕にもビール頂戴」

「好きに飲め。ああ、シロは止めとけ。酔ったお前は、めんどくさい」

「むう! なんでよう。私だって飲むもん!」


厨房に駆けて行った私は勝手に瓶ビールとグラスを持って来た。
自分の席に戻れば、目の前に座っていた眞人さんがため息をついて栓抜きを寄越してくれる。


「量、控えろよ?」

「眞人さんの言うことは、もうきかないもん」

「ふん。好きにしろ」


グラスにビールを注ぐと、勢いが余ったせいか泡ばかりになってしまった。
それを一息に飲み干して、大きく息を吐く。


「シロ。泡」

私を見てくすりと笑った眞人さんが手を伸ばして、私の鼻の下を乱暴に拭った。


「……ありがと」

「ん」


何気ないように眞人さんが言って、自分のグラスに口をつける。
露わになった喉仏が上下するのを見てから、梅之介に目を向ける。
私の視線に気が付いた梅之介が綺麗な顔を歪めてみせて、舌をべ、と出した。


「食いしんぼ。こっち見たって、料理は分けてあげないよ」

「眞人さんのをもらうからいいもん。ふんだ、その顔ぶさいく」

「お前にだけは言われたくないね」


こうして三人で食事をとるのはきっと、これが最後だろう。
目の前に座る人をそっと窺う。
端正な横顔を見つめるだけで胸の奥がきゅうっと締め付けられた。喉の奥がひりついて、目が熱くなる。

眞人さんが私に顔を向けた。
ふっくらと炊かれた黒豆よりも艶やかで深い色をした瞳が私を捉える。


「なんだ、シロ。箸が止まってるぞ」


食えよ、優しくそう言う声に、私はようよう頷いた。


 ――私は、心地よかったこの家から、飼い主の元から去らなくてはいけない。
  この人のことを、好きになってしまったから。もう、どうしようもなく。


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