初恋
部屋の中に、直ちゃんはいなくてりゅうさんだけだった。

二人になるのはいやだな。
留美ちゃんは呼ぶなと言っていたし、なんだろう。

わたしがコートを脱がずにいると、お前のくせにいっちょまえに警戒すんな、などと言う。

それから、そんなひまあったらさっさと手伝え、と台所に立っていってしまった。

仕方なくコートを脱いで台所へ行くと、じゃがいもとにんじん、たまねぎが流しの上にあって、皮むきを命じられた。

ピーラーでじゃがいもの皮をむきはじめると、
それくらいはできるな、と自分はたまねぎをむいてみじん切りにし始めた。

上手だなあ。
規則的な包丁の音がして、たまねぎがどんどん小さくなっていく。

「なおな、今オカンに合ってると思う。」と不意に言う。

「そう。」

章子さん、会う気になったのかな。
りゅうさんが説得でもしたのかな。
そう思って黙っていると、りゅうさんは独り言みたいに話を続けた。

「おかしなもんやろ。別れろ別れろと思ってたのに、
こうなってみるとなおがかわいそうでな。
さっき、車と家の鍵、渡したった。」

電話にも出ない、来ても会わないと言い張る章子さんに、
さすがにりゅうさんは腹が立ってきたそうだ。

いい加減にせえ。断りに行くほうの身にもなってみろ。

直ちゃんは毎日、仕事が終わってから駅まで来ていたから、
それを帰らせるのがりゅうさんのつらい日課になっていた。

しかし息子に怒鳴られても、

だいたいあんた、反対やったんやないん?
おかしいって言うてたやない。
あんたの望むとおりになってるのに、何が文句ある?

と言って、章子さんは頑として方針を変えなかった。

そして、「わたしもおかしいと思う。」とぽつりと言ったそうだ。

「おかしいって言うけど、もう何年や?
おれはぜったい、なおが浮気なり、心変わりなりすると思ってた。
あいつ、けっこう他の女に言い寄られたりもしててんで。

そやのに、まともに会われもせんようなあいつのこと、まだ好きでおるなんかそっちのほうがおかしいやろ。」



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