センブンノサン[完]

土鍋が高いことは知っていたので、土鍋を死守した形で熱さに耐えている私に、若夫婦の奥さんは言い放った。

私の確認した限り、男の子の方には一滴も飛んでいないと思う。そう思ったけれど、母親の攻撃的な瞳を見たら何も言えなくなってしまった。

店内は騒然としだし、キッチンからも1人出てきた。しかし今店長と社員さんは丁度奥の部屋でグルメ雑誌の取材の対応をしている。

「お客様、大丈夫ですか」

「うちの子が火傷したみたいで泣いてるんですけど！」

いや、肌どこも赤くないし、洋服も全く汚れてないじゃないか。

いや、そんなことより、胸辺りが尋常じゃなく熱くてヒリヒリする。こういうのってはやく冷やさないとまずいって聞くけど、今はそんなこと言える状況でもなさそう。

とりあえずもう一度頭を下げようとすると、ぐいっと腕を引っ張られた。

「お前バカかっ、はやく冷やせ！」

「えっ」

珍しく焦った様子の千堂君に私は一瞬呆気にとられてしまった。

「え、じゃねーよ！」

はやく行け、と言って彼は私を無理やり立たせて洗浄室へ押し込んだ。

とりあえずすぐに黒シャツのボタンを外して、氷を袋に詰めて直に肌に当てた。

暖簾の向こう側からは、客の理不尽な怒りの声が聞こえてくる。

お客様のいる側と洗浄室を分け隔てている暖簾の僅かな隙間から、千堂君が頭を下げているのが見えて、激しく胸が痛んだ。

私のミスなのに、私が招いたことなのに、千堂君が頭を下げている。

「大変申し訳ございませんでした。しかし、また当店にご来店の際はお子様からどうか目を離さないようお願いできますでしょうか」

「何よ、私たちが不注意だったって言いたいの？」

「……ここは保育園ではないので、こちらでも対応しかねる時がある、と言っているんです」

千堂君の低い声が聞こえて、背筋が少しゾッとした。

千堂君の挑発的な言葉に若夫婦はギャンギャン喚き散らしていたけれど、それをキッチンのバイトの子が抑えてなんとか帰ってもらう、という流れを肌を氷で冷やしながら聞いていた。