水簾~刻の雨音~
恐怖
「はぁっ!?距離を置きたい?」

「あぁ…三日前に言われたんだが、どうも言い出しにくくてな…。」

「………。」

 樹の言葉に蛍は絶句する。

(…なんだそれ…。)

 抱きしめたから?

 キスしたから?

(…嫌われたかな。)

 思った途端、心臓が痛くなった。

「…なんで…。」

 樹がため息をついて蛍を見た。

「…惚れてるんだろ?お前も案外情けないな?」

「…るせぇよ。」

 蛍は片膝を立てて顔を埋めた。

(私は鳶が好きだよ…か。)
 
 まさかここまで拒絶されるとは思わなかった。

(…俺の言葉…全然届いてねぇじゃん。)

『次好きになるなら俺にしろ。俺以外、好きになるな。』

 強引なことはわかっていたけど、それ以上の言葉がなかった。

 嘘はつきたくなかったし、きれいごとも言うつもりはなかった。

 だから、感情のままに言葉を吐き出した。
 
 それでもだめならもう…。

 と、ぽんっ、と肩に手が置かれた。

「『忘れたくない人がいるんです。』…だってよ。」

 樹の言葉に歯を食いしばる。

「…わかってるっつーの…っ!」 

 ぎゅっと眉を寄せて目を閉じる。

 三日間、避けられてるとは思っていた。

 クローフィの出産と琉斗から聞いていたが、いいわけにすぎなかったということか。

(…あのやろー、わかってて言わなかったな…。)

 心の中で密かに琉斗を恨む。

 と、次の瞬間だった。

 バンッと扉が開き、村長が入ってきた。

「翠はおりますかなっ!?」

「いるわけねぇだろっ!?」

 思わず噛みつくと、樹に制された。

「来ていませんよ。私も三日前から会っていませんし、蛍は四日間会っていないとか。」

 こういうとき、やっぱり樹は年上なんだと思う。

 部下ではあるが、何か届かないものを感じる。

 と、村長が真っ青になって怒鳴った。

「今すぐ掘り起こせ!!翠はそこにいるっ!!」

 にわかに緊張が走った。

 ドタバタと男たちが駆けていく。

「…何かあったんですか?」

 樹が尋ねると、村長はうなずいた。

「…岩戸の奥が崩れましてな…、どうやら翠が閉じこめられたようで…。」

「なっ…!?」

 蛍は飛び起きて、村長につかみかかった。

「無事なのかっ!?」

「…わかりませぬ。…空気穴はあるものの…食べ物が…。」

 餓死…。

 めまいを覚えて蛍はそばにあった柱にもたれた。

「…それ以上に恐いのは空腹の鰐蛇に喰われることだ…。奥には簡単に外には出せないような凶暴なのがいる。」

 そばの男が言った言葉にぞっとする。

 腰から力が抜けそうになった。

 今まで感じたことのないような恐怖が襲ってくる。

 人をなくすということへの恐怖。

 翠は、こんな恐怖に向き合ってきたのだろうか。

 今、翠はどんな気持ちでいるのだろう。

 恐怖に震えているだろうか?

 絶望に伏して泣いているのだろうか?
 
 それとも…やっと鳶に会えると喜んでいるのだろうか。

「…助けに行かないのか?」

 樹の言葉に蛍は言った。

「岩戸の場所は村の男しか知らない。」

「…お前ならすぐに調べられるだろうに。」

「……掟は外から来たからといって破れるものじゃないってことぐらい、お前にもわかるだろ?」

 樹がいらだつように言った。

「なにを馬鹿なことを…。いいわけにしか思えん。」

 蛍はうつむいて言った。

「…あいつは俺なんて望んじゃいないさ。今頃もうすぐ鳶に会えるって喜んでるだろうよ。」

 次の瞬間だった。

 ガツッと鈍い音がして、頬に痛みが走った。

「───っ!!」

 痛みに顔をゆがめる。

「お前っ…!ふざけんな!!」

 そこにいたのは琉斗だった。

「ふざけんなよ!!翠がどれだけ必死に生きてきたか知らねぇくせに!!本当に鳶に会いたかったらとっくに死んでるだろうが!!」

 蛍は叫び返した。

「うるせぇよ!!こっちは拒絶されてんだよ!!どのみち部外者だ。行ったってどうもできねぇ!」

 琉斗がつかみかかってくる。

「拒絶かっ!?本当にそうか!?俺には…俺には悔しいけど意地張ってるように見えた!!」

 蛍は琉斗の肩をつかみ、叫び返した。

「じゃあ本当に俺にはどうにもできねぇじゃねぇか!!どうすりゃいいっつーんだよ!?幼なじみだろ!?お前こそ行ったらどうなんだよ!?好きなんだろ!?」

 と、ものすごい勢いですぐ横の柱を殴られた。

 そして、野獣のような剣幕で怒鳴られる。

「あぁそうだよ!好きだ!!翠になら殺されてもいいぐらいに!!けど、あいつが好きなのはいつも俺じゃない!!俺じゃないんだよ!!」

 そして、涙を零した。

 透明で、熱い涙だった。

「…あいつがどんな気持ちかわからないほどバカじゃないだろ?」

 その声は震えていた。

 蛍はゆっくりと柱から体を起こした。

「…俺はバカだよ。わかんねぇよ。そんな風に愛されたことなんてないからな。親もいない。女も中途半端に遊んでは捨ててきた。愛されたことも、愛したこともないんだよ。」

 琉斗の瞳を睨みつけて言った。

「…お前の言葉は愛されてきたからこそ言える言葉だ。」

「お前だって両親くらい…。」

 言いかけた琉斗の声を遮るように、戸口の方へ歩きながら蛍は言った。

「…俺は孤児だ。父親なんて、俺の顔さえ知らねぇだろうよ。」

 なんせ鷹なんだからな。

 そう心の中で言いながら外へ出る。

「…どこ行くんだよ?岩戸はそっちじゃ…。」

 琉斗の言葉に蛍は言った。

「やめろ。教えたら罪になんだろ?それくらい自分で探せる。ただし、動けるのは夜からだ。」

「じゃあ翠のこと…。」

 当たり前だろ、と言いながら歩き出す。

 途中から、もう助けに行くことは決めていた。

 たぶん、柱を殴られて琉斗の涙を見たときから。

 夜になれば翼を広げられるし、翼を広げてしまえば自分は獣だ。

 人の数倍の力が出る。

 蛍は作戦を建てるべく、頭を回転させながら歩き出した。

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