マネー・ドール
 水曜日に、予定通り鍵が取り付けられたけど、真純はまだ帰ってこなくて、電話も出なくて、メールもなくて、俺は何かあったんじゃないかと不安になったけど、もし無断欠勤なんかしてたら会社から連絡があるだろうし、警察からも……そんな想像はやめよう。
 そして、金曜日。Xデーから一週間。俺は禁酒を決めていて、八時に家に帰った。マンションの前にはでっかいトラックが停まっていて、俺のベンツは駐車場に入りにくくて、ちょっとイライラした。でも……真純のスーツケースが玄関に置いてあった。
「真純!」
俺は思わず真純を探した。
「あら、おかえりなさい」
真純は笑顔で俺を出迎えた。顔の腫れは無くなっていた。
そうか、許してくれたんだ……真純……
「真純、あの……」
でも、真純の後ろには作業着の男が二人立っていて、俺を見て頭を下げた。
「主人です」
真純は男二人に、にこやかに俺を紹介した。
「配送部のね、山根さんと、高邑さん」
配送部二人組は、どうも、と言った。
「ほんと、助かった! ありがとう! 急なお願いしちゃって、ほんと、ごめんなさいね」
「いやー、佐倉ちゃんの頼みだからね。それより、ダンナさん、噂通りイケメンじゃん」
「そうでしょ?」
真純は笑って、俺の腕に、腕を絡めた。
「美男美女かぁ。こんないいマンションに住んでさ、羨ましいよ」
真純は、うふっと微笑んだ。
「私、とっても幸せなの」
「はいはい、もう聞き飽きたよ」
俺以外の三人は笑っている。なんなんだよ、これ……
「しかし、偉いねえ、佐倉ちゃんは。仕事も家庭もちゃんとして」
「そうかしら」
「ダンナさんの睡眠の邪魔したくないからって、ベッドまで買うなんてねえ」
え? ベッド?
「主人も忙しいの。お互い、ビジネスマンとして、もっと成長したいし。私もまだまだだから……」
「みんな佐倉ちゃんのこと、褒めてるよ。仕事もできるし、気配りもできるし、マジメだし、何より美人だし!」
「もう、やだぁ、高邑さん!」
「じゃあ、そろそろ。また来週ね」
「うん、ありがとう」
「ご主人、失礼します」
「おつかれさま!」
 真純は玄関で二人を見送って、振り返った。振り返った真純は、もう笑っていなくて、俺を避けるように部屋へ向かった。
「ベッドって、なんだよ」
「部屋に買ったの。うちの会社で。割引きくから安いのよ」
「そういうことじゃなくて……」
「安心して眠れないの」
真純は、俺の顔も見ずに部屋へ入り、鍵を閉めた。かちゃん、と、冷えた廊下に鍵の音が響いた。

 そういうことかよ……なんだ……そういうことか……
そう、俺達は、離れてしまった。でも、新しい俺達を見つけた。仮面夫婦。俺達は、仮面夫婦。本当の顔は見せない、仮面夫婦。美人の妻とイケメンの夫。
幸せなんだ、お前は。それで、幸せなんだ。そうか、わかった。俺はお前が幸せならそれでいいよ。俺達は仮面夫婦として、生きていこう。それが、俺達の形なんだ。もう、待たなくていいかな。だって、お前はもう幸せなんだから。
真純。なあ、真純。お前は……金と見栄しか、それだけしか見えない女なんだな……
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