きみと駆けるアイディールワールド―緑風の章、セーブポイントから―

○泣けない笑えない。

 響告大学附属病院のそばの交差点で風坂先生と別れた。雨はほとんど止んでいた。
 あたしは、傘を畳んだ風坂先生の後ろ姿が見えなくなるまで立ち尽くしていた。風坂先生は振り返らなかった。仕事関係の電話をこなしながら歩いていたから。
 1つ、大きな息をつく。
「大丈夫かな、あたし?」
 顔をぺたぺた触ってみる。笑えるかな? パパに心配かけない顔、できるかな?
 とりあえず、パパかママに連絡して、あたしも今日は病院に泊まりたいって言わなきゃ。
 今日もニコルさんたちと、ピアズで待ち合わせしてる。家族用のカプセルベッドにこもれば音漏れは少ない。そこからログインしようと思うけど、ベッドが空いてるかどうかが問題なんだよね。
 あたしは通話用のイヤフォンを耳に着けた。パパの病室をコールする。10秒くらい待ったら、パパが電話に出た。
〈もしもし、えみ? どうした?〉
 優しい声。風坂先生より、太い声質。電話越しだと、にじんだように柔らかく響く。
「えっと、どうもしないけど」
 嘘。
〈久しぶりだな、えみの声を聞くのは〉
「うん。だから、かけてみたの」
〈ありがとう。えみもしゅんも無理しすぎてないかな?〉
「あー、瞬一は頑張りすぎだよね。まあ、あたしが見張ってるから問題ないよ!」
 また、嘘。
〈頼もしいな。でも、えみも頑張りすぎるなよ〉
「へーきへーき。あたしは全然、もっと頑張らなきゃいけないし。あたしのまわりにいる人ってさ、瞬一も初生も、優秀すぎて困っちゃうよ」
 ああ、ダメだ。
 どうして? あたし、どうして嘘しか出てこないんだろう? パパに嘘なんかつきたくないのに。
 でも、止まらない。
「あたしのほうは、ほんとに大丈夫だよ! パパこそ、検査とかリハビリとか大変でしょ? 転んだりしてない? ママに心配かけさせちゃダメだよ?」
 あたしはパパに心配かけたくない。
〈えみは元気そうだな。その声を聞くと、安心するよ〉
 顔を見せたら、あたしが嘘ついて笑ったふりをしてるってバレる。そんなのダメだ。
「今日ねぇ、いいことあったんだ! 憧れの先生と、ゆっくりお話できたの」
 元気で脳天気でいつも笑顔の、おバカな笑音。あたしはそういうキャラだから。
〈憧れの先生? 女の先生、それとも、男の先生かな?〉
「うふふ~、内緒~♪」
 パパが楽しい気持ちになれるなら、あたしは、嘘でも無理でも笑ってみせる。パパがいつもそうしてくれるように、弾んだ声を保ってみせる。
 あっ、とパパが言った。パパの声の向こうに、甲斐さん、とパパを呼ぶ声があった。看護師さんだろう。
〈ごめんね、えみ。これから診察に行けないといけなくてね〉
「そっか~。忙しいね、パパ」
〈たまには見舞いに来てくれよ。おいしいものをおみやげにしてくれると嬉しいな〉
「えー、太るよー?」
〈それを言うなよ。おいしいものは、入院中の数少ない楽しみなんだぞ〉
「ま、許可してあげましょう。次のお見舞いのときは、何かおいしいもの持っていくね。じゃ、グッドラック、パパ」
 通話を切ろうとした。その直前に、パパがささやいた。
〈苦しいときは、弱音を吐きにおいで。ときどき思い切り泣くのが、笑顔でいるためのコツだから〉
 パパのほうが先に通話を切った。あたしは立ち尽くした。
「じゃあ、どうすればいいの? 泣くの笑うの、どっち?」
 パパのバカ。あたしは必死で強がったのに、全然わかってない。
 あたしはふらふらしながら歩いて、公園に入った。小さな公園は、ドーム型の強化ガラスで覆われてる。上がったばっかりの雨のせいで、ガラスは少し曇っていた。
 あたしはトンネル型の遊具に潜り込んだ。膝を抱える。狭くて薄暗くて、ちょうどいい。なんだか落ち着く。
 もう、今日はこうやって過ごそう。夜、寒くなっておなかが減ったら、適当なお店に入ろう。響告市は学生の町だ。響告大学のキャンパスでは、夜通し、学生さんが研究をしてる。おかげで、夜通し開いてるお店も多い。
 あたしはカバンから薄型プラスチック製のPCを取り出した。ハンカチみたいに畳んでたのを展開する。起動させて、ミュージックポッドを呼び出す。
 イヤフォンをPCにつないだ。お気に入りリストをランダム再生する。目を閉じる。
 1曲目から、あのイントロ。アップテンポの明るいロックチューン。だけど、歌詞はとても切ない。
 『リヴオン』。
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