茜の忍
「やはりですね、知識は立派な忍になるために必要不可欠なものだと私は思うんですよ。どんなに実技に秀でていようが、馬鹿は馬鹿。救いようがありませんからねえ」
「うるせーやい!俺はなあ、あと一時間後に本気出すんだよ。そういう奴なんだよほっといてくれ」

忍・くノー養成学校『茜』のとある一室。一人部屋にしては少々広すぎるそこで、一人の少年と、明らかに人ではない青年がこたつを挟んで座っていた。こたつの上に は大量の書類が山積みになっている。 栗色の癖っ毛に明るい茶色の瞳をした少年の名前は日野 光。『茜』の校長の末息子にして次期校長と定められた御曹司だ。額に
黒い布を巻き、左耳に二つの赤いピアスをつけた光は、書かなければならない作戦書を前にがっくりとうなだれていた。与えられた任務をどの様に遂行するのかを仔細
に書き込んだ作戦書の作成は、忍になるためには決して欠かせない。しかも、本人が書いたのだと証明するために全て手書きときた。残念ながら自分の字がお世辞にも
上手く見えないと自覚している光にとって、作戦書作りはかなりの苦痛だ。さらに追い討ちをかけるように、光には文才がなかった。どうしても文が続かない。思って
いることを上手く文で表現できない。どんなに頑張ったところで出来上がりはまさしく小学生の作文よろしくなってしまい、爽やかな笑顔の絵文字付きで[やり直し]と
書かれて返って来るのが常だった。こたつに突っ伏す光を見て、向かいに座った青年がわざとらしく溜め息をつく。障子から入る日の光りに反射して、彼の青みの強い 銀髪がキラキラと輝いた。

「実技テストはいつも満点なのに・・・・。宝の持ち腐れですねえ」
「それを言うな」
「言いますよ光の若旦那。あなたは百年に一人と言っても過言ではないほどの才能と実力を持ちながら、百年に一人と言っても過言ではないほどのバカさ加減で未だに
[中忍]止まりなんですよ?これを宝の持ち腐れ、豚に真珠、馬に念仏と言わずになんと言いますか!!」
「じゃかあしいわっ!!つーか言い過ぎだろお前!途中から微妙にことわざの意味変わってきてるし」
「煩いですよ。私はただ、馬鹿に貴重な才能は勿体ないって事を言ったんですこの馬鹿」
「よーしわかった表にでやがれええいっ!!!」

いきり立った光がギャオウと吠えた相手の青年は、「嫌です、私究極のインドアなんで」と、凄まじい怒号をサラリとかわす。青みがかった銀色の長い髪を団子にして かんざしでとめ、首に青い勾玉を下げた青年は、その優しげな風貌故にともすれば女に見間違えてしまいそうだった。白く滑らかな肌、整った顔、冬の湖のような、暗
くて深い蒼の瞳。水色の薄い布を肩や腹に巻きつけ、そのまま銀の槍と共に腰に突っ込んでいるため、殆ど上半身裸で袴を着ているような感じだ。どっからわいてでた
水の精ですか、と言いたいところだが、彼が水の精でないことを証明する証拠が三つあった。
一つ。水の精にしては、ちょっと尋常でないほど背が高い。どう少なめに見積もっても二メートルはあるだろう。そんな精霊、子供の夢を壊すだけの公害だ。
二つ。明らかに攻撃するためだとしか思えないところが異常に特化している。爪だの牙だの、こっちが引くほど長い、鋭い、怖い。
三つ。極めつけは形の良い頭からニュッと突き出た二本の角。色は金色ビューティフル。
そう、この青年は精霊さんではない。れっきとした鬼である。地獄の青鬼、名を鬼虎(きどら)。元は地獄にある黄泉へと続く大門を守る役目を負っていたが、訳あっ
て二百年程前から光の家に憑いているのだ。ちょうど一ヶ月前に光の父である日野 命月(いづき)が光に鬼虎を譲り、晴れて(?)鬼虎は若旦那に仕える事となった。
パクパクとミカンを頬張りながら、鬼虎は一つ欠伸をする。それを見て光は少なからずむっとした。欠伸をしたいのはこっちなのだ。何たって鬼虎は光の作戦書作りを
手伝う訳でもない、ただ見てるだけなのだから。疲れることなんて何もしていない。

「しかし若・・・最近本当に大きな任務はありませんね。これは若が作戦書を溜めに溜め、筆記テストで過去最低の三十点を叩き出し、あまつさえ十七になってまで
ご自分の忍団の一つも作られないからそのせいだと考えでもよろしいですか?」
「うるせー 」
「三十点はないと思いますよ、若」
「ほっとけ」

重々しい鬼虎の言葉も 耳を塞いでやり過ごした光。自分を見る鬼虎の目が冷たいのは十分承知していたが、そんな事で怯んでいては何も始まらない。

「忍団は、作る!俺が気に入った奴を仲間にするんだ!!」
「若が気に入ったからと言って、相手も若を気に入るとは限りません」
「うっ・・・!お前、今のはグッサリきたぞ・・・・・」
「どんな人にも気に入ってもらえるよう、せいぜい精進してください。はい、まずは勉強面から」

怒りんぼの幼稚園の先生よろしくせき立ててくる鬼虎に、光は思わず遠い目をした。このままでは永遠に書類地獄から解放されないではないか。色々と憂鬱な気分に
なってきた光に救いの神が現れたのは、光が敵前逃亡を決め込む三秒前だった。
何の前触れもなく部屋のふすまが開けられる。一切の気配を感じさせなかった侵入者を見て、鬼虎は顔を輝かせ、光はコタツに潜り込んだ。

「これは大旦那!お久しぶりにございます」
「ん、ああ鬼虎か。久しいのう、いつぶりじゃ?」
「丁度ひと月と2日目の二十一時間五十分ぶりですねえ」
「・・・・・」

うむ、鬼虎よ。そこまで覚えていると、もはやキモいぞ。
喉まで出かかった本音をポーカーフェイスでかみ殺し、部屋の入り口に立ち尽くした老人は大きく溜め息をついた。
大分白髪が混じったが、光と同じ栗色の髪に茶色の瞳を持つ老人は見たところ六十代始めか。かつて泣く子はもっと泣き叫ぶ程の悪名を轟かせた、光の父親である。現在
『茜』の校長でもある老人の名は、日野 命月(いづき)。光が世界で一番嫌いな奴ランキングの堂々首位に居座り続ける男だ。
相変わらずコタツに潜り込みピクリともしない末の息子を見て、命月はやれやれと首を振り・・・・・・・一切何の躊躇も容赦も愛情もなく、「これでもか」と言わんば
かりに蹴り上げた。

「いってえええええええーーーーーーーー!!!!!!」

当然聞こえて来るのは痛みを訴える悲痛な絶叫。だがしかし、鬼としか形容できない命月は眉一つ動かさなかった。涙目でコタツから飛び出してきた光は、この世の
全ての憎しみを込めて実の父親を睨みつける。なんて憎たらしい父親だろう。死ねばいいのに、死ねばいいのに。

「ひ・・・久しぶりに会った末の息子を!いきなり何の理由もなく蹴り飛ばすたあどういう了見だクソジジイ!!」
「喧しいわ!愛の鞭じゃ、愛の鞭!」
「愛のない鞭はもはやただの虐待なんだよ!」
「む。何じゃ光、お前にはこの父の、溢れんばかりの愛が見えないと!?」
「見えるかあ!!あんたの行為のどこに愛があった!?」

吠えたける光と、叫び返す命月。この光景を見苦しいと言わずになんと言おう。

一方、窓を震わす大音量で繰り広げられる舌戦を、うるさい羽虫を追い払うがごとくガン無視した鬼虎は爽やかに言った。

「で?何をしにこられたんですか、大旦那。まさか本気で末息子を蹴り飛ばしに来たわけではないでしょう?」

もしそうだとしたら完全に虐待だ、と光が悪態をつく。見逃すな、幼い子供のSOS。
質問をされた側の命月はと言えば、笑顔の鬼虎に向かってケタケタと笑い返し、いかにも心外だと言わんばかりに胸元を押さえてみせた。

「まさか!このわしがそんな恐ろしい爺の筈なかろう、鬼虎」
「・・・それはどうだか」
「何か言ったか?息子よ」
「何か聞こえました?父上」

ニッコリニコニコ。親が親なら子も子である。が、泥沼となるかに見えた父子の舌戦を止めたのは、他ならぬ父の咳払いだった。今の今までふざけきっていた命月の
目が、瞬時に真剣な色を帯びる。光も我知らず居住まいを正した。

「いやまあ、冗談はここまでにして。光、お前この頃暇してるようだから任務に行く気はないか?」
「あるっ!」

いやあデスクワークが暇すぎてもうどうしようかと。
ヘラヘラと笑う光をギロリと睨みつけ、命月は口元に不吉な笑みを浮かべる。

「暇、と言うことは光や。勿論報告書は全て完璧に終わっているのだろうなあ?」
「いやまさか。」

ハハハハハハ。二人の乾いた笑い声が、虚しく部屋中に木霊した。と、次の瞬間。
ゴンッ!

「イッテエエ!!」
「ぬああにが『いやまさか』じゃ!報告書の一つや二つや三つや百!軽く終わらせんか、この偉大な親の面汚し!!!」
「偉大な奴はなあ、自分で偉大だなんて言ったりしねえんだよ!」
「黙れじゃかあしい!少なくともお前よりは偉大だわ!!」
「グッ・・・。クソ、言い返せねえ」
「やあーい、バーカ!バーカ!」
「・・・大旦那、むしろあなたが馬鹿に見えますよ。早く本題に入ってください」

親子の不毛かつ低レベルな争いに、ついに鬼虎が口を挟んだ。さっきまでの真剣な空気はどこに行ったのか。銀髪の青年の呆れかえった目を受けて、再び命月が咳払い
をした。今度は光は姿勢を正さなかったが。

「ええー、とにかく任務じゃ任務。今回の任務はでかいぞ光。標的はなんと、あの『八部鬼衆』のトップ、羅刹の首じゃ。ん?お馬鹿な光は『八部鬼衆』なんて知らん
かのう」

あからさまに馬鹿にしてくる命月に、さすがに光もカチンときた。確かに自分は命月から見たら馬鹿かもしれないが、それくらいは知っている。

「それぐらい知ってるんだよ。最近警察が新しく導入した、特別武装部隊だろ」
「対忍用のな。はっきりわしら忍に喧嘩を売ってくるくらいだ、政府も余程の勝算と自信があるんじゃろう。その政府が売った喧嘩を、真っ先に買った忍団が出た。ど
こだか分かるか?光」
「さあ」

あっさり即答した光。もう少し考えろと言わんばかりの視線を命月に向けられたが、分からないものは仕方がない。すっかり開き直っている息子をやれやれと見やり、 命月が大袈裟にため息をついた。

「『鬼団』じゃ。ここら辺でわしら『茜』と並ぶ規模を誇る『鬼団』の頭が、幹部の一人を羅刹のもとへ送り込んだと言う報告が入っておる。お前に命じるのはな、 その『鬼団』の幹部より先に羅刹の首を取ってくる事、最低でもその幹部の妨害をすることだ」
「『鬼団』・・・」

光の脳裏に、何日か前に会った少年の姿がフラッシュバックした。長い黒髪の術者。自分と同じか、少し幼い位の人面鳥。『鬼団』の・・・・・・幹部。送り込まれた
幹部とは、もしかして。

「なあ親父、その幹部って年幾つくらいだ?」

ボソリと、珍しく静かに尋ねてきた光に命月が僅かに眉をしかめる。

「そうだのう・・・。そう言えば光、お前と同じ位だったか。ああでもあっちは上忍でお前は中忍じゃ。身の程をわきまえて、妨害と言ってもまともにやり合おうとするなよ」

それだけ言うとヒラヒラと手を振って出て行く命月を、光はアングリと口を開けて見送った。



『ー・・最初に言っておけば、お前は嘘をつかない方がいい』


あの、人を射殺せんばかりの黒曜の瞳。光が思わずポロリと呟く。

「うわあ、最悪」

波乱の、予感がした。
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