僕の話
その頃、日本は東京が陥没して、大阪が滑り落ちていた。九州はどこかにふっ飛び、四国は二国になった。しかし、山形は山形のままだった。山形の人々はとても残念そうにあちこちで「なんでかなー」とつぶやいたという記録が今でも残っている。第二次世界大戦というものが本当にあったのかどうか、今では物議をかもし出しているが、その当時はあった事で世界は正常に進んでいるかのように進んでいた。そして、僕はオマーンの首都オマーンで、空中サッカーブランコの世界ジュニアジュニア選手権に出場し、9-0でマダガスカル島代表に勝利を収めていた。中華人民共和国は、48都道府県に分かれ、それぞれが没個性的に自治を主張していた。スローガンはどこの都道府県も、「ラーメンは○○県(都道府)の特産物アルヨ」だ。もう、既にチャイニーズの血は誰の血にも流れており、チャイニーズの血にはあらゆる民族とニホンザルの血が流れている有様だった。そして僕は5歳の時、床下から日本古来のウメボシの種を発見し、ノーベル日本賞を受賞した。ロシアでは、冷凍マグロを生きたまま釣り上げ、解凍してウォッカにつけて食べる事で寒さを凌いでいた。アメリカは全国土をならし、スーパーフラット政策を実施した。ニューヨーク~ロサンジェルス間を、シャトル新幹線を使い2時間で横断する事が可能になった。アメリカはこの計画に、158年の年月と967京58兆1265億ドルの費用を費やし、アメリカンジョークを完成させた。そして、僕は9歳の時、世界中の有機コンピュータにハッキングをかけ、地軸を0.5度傾かせ、5000億ユーロの懸賞金をかけられた。ヨーロッパではありったけの毛皮を準備したため、毛を持つ動物が全て絶滅し、それを持ってグリーンランドへの大移動が48%完了していた。アフリカ大陸は67%が砂漠化し、残りはどこかに寄付された。中東では毎日、白い衣服が洗濯され、清潔さを保つ事が最重視されていた。そして、僕は15歳の時にセブンイレブンでバイトを始めた。南米大陸は、アメフト専用スタジアムが1988個建設され、全ての国の財政が底を尽き、計算通りにいった事にとても満足していた。世界中の小さな島という島はもれなく水没し、世界地図が書きやすくなった。そして、僕は20歳になり、煙草を吸って、コーヒーを飲み、世界は終わりを告げた。
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