勇者の姉

2




ついにこの時が来た、というべきなんだろうか。





今朝はまだ日が昇る前に目が覚めた。
冬が迫ってきているせいか少し寒いな、なんて思いながら寝ているお婆さんを起こさないようにベッドからはい出た。
顔を洗おうとして、瓶に水が無いことに気がついく。
そういえば、昨日水を足そうと思って忘れていた。


自分の失態に舌打ちして、桶をもって村の真ん中にある共同の井戸へ向かう。
一歩外に出れば、一層ひんやりした空気に思わず首を縮めた。
まだ、他の家も起きていない時間だから、あたりは静かだ。
あまり音を立てないように気をつけながら、そっと進む。



いつも思うけど、お婆さんの家は村の外れにあるから井戸まで少し遠い。
他よりいくつかの瓶に水を溜めるようになったのも、水汲みが重労働だからだ。
もう少しどうにかならないか、と考えていると視界の隙間にちらりと光がうつりこんだ。
目を懲らしてみると井戸の周りに男ばかり数人いるのが見えた。
一つの松明を隠すように寄り合って、なにやら話し込んでいる。





こんなに朝の暗いうちから?





ぼそぼそと低い声で、早口に言葉が交わされてる。
炎に照らされた村人達の顔は、能面のようだ。
ぞくり、と背筋に悪寒が走った。



あれは、絶対良くないことだ。
頭の中で警鐘が鳴り響く。聴いてはいけない。だか、聴かなければ後々後悔する。

細心の注意を払いながら村人達へ近づいて、会話が聴こえるギリギリのところまで忍び寄った。



「・・・・・・・・・やはり最初からそうするべきだった。」
「やるなら今しかねえ。なに、心配いらねえよ。この村には反対する奴なんかいない。むしろ俺たちは英雄扱いなんじゃないか?」
「やらねば、村全体が危うい。俺たちは村を守る英雄になるんだ」
「そうだ、これは守るためにすることだ。」


じっと息を殺して、会話に耳を傾ける。

何が、危険なのか。
危険が迫っているなら、お婆さんと私も対策をとらないと。魔族が近くに出たのだろうか?
ーーそうであってほしい。



「良いかお前達。失敗は許されねぇ。」
「ああ、わかってる。」
「まず、婆さんを捕まえろ。そうしたらあの女は必ず動きをとめる。あの婆さんだってもともとはよそ者だ。手加減することはねえ。ただしあの女を確実に殺すまで、婆さんは生かしとけ。下手に暴れられたら面倒くせえ。あの女は大層婆さんを大事にしてやがるからな、婆さんさえ捕らえればこっちのもんだ。」



ドクドクと、心臓の音がうるさい。
ぶわりと冷や汗が吹き出した。
ついに、この時が来てしまった。
よりによってあの子が居ない、この時に。いや、彼らからすれば今だからこそか。
弟が居なくなった、女だけの疎ましがられる存在を。


じりじりと音を立てないように後ずさる。
逃げなければ。お婆さんと一緒に。



「女は見てくれはいいからな。なぐさみものにしてから殺ろうぜ。」
へへへ、と下卑た忍び笑いがいやに響く。
「じゃあ抵抗できないように手足をへし折ろうや。それからじっくり、な。」
「勇者が帰ってきたらどうするんだ?」
「勇者と会うために村を出たとでもいえば良いさ。婆さんの方は・・・・寿命だろ?」
賛同の声があがる。それなら、勇者も平穏にこの村から追い出せると。
「決行は日があの山を登る頃だ。」


頭が可笑しいんじゃないのか。
村人達が私達をどう殺してやろうかという内容は、怖くて聞くことができなかった。
十分に距離を取ってから一目散に家へと駆け戻った。












はっ、はっ、はっ、




ガタガタと震えが止まらない。
何度か家のドアを開けるのに失敗して、ようやく中に入ってそのまま崩れ落ちた。




どうする、どうする、どうすればいい!?
お婆さんも私も生きられる方法は?
私だけなら何とかなる。
でも、お婆さんは歩けない。
村の男達がいっせいに私たちを襲えば、女の腕力なんて男にかなうはずがない。


「・・・・・どうしたんだい?そんなに震えて可哀相に。こっちへおいで。」


ゆっくり視線をあげると、いつのまにか上半身を起こしたお婆さんがいた。
外はまだ暗く、シルエットしか見えない。


さっきのこと、ちゃんと、話さないと。

ノロノロとお婆さんの近くに寄れば、心配そうな目とかち合う。
そして驚いたように見開かれた。


「泣いているの?滅多に泣かないお前が、いったいどうしたっていうんだい?」
「おば、あ、さん、わたっわたしっ....!」
歯の根が噛み合わずにうまく言葉が出ない。少しでも早くここから逃げなくてはいけないのに。手の震えが止まらない。
どうにかしないといけない。どうにもならない。日が昇るまであと時間はどれくらいある?
何度か言葉にしようとして、ひゅーひゅーと空気が口から出る。
焦っても、ちっとも体が言うことをきかない。

「さあ、大丈夫。大丈夫だよ。なにがあってもこの婆がお前を守ってやるからね。」
そんなに強い力な訳でもないのに手を引かれて、足に力が入らずにベッドの端に崩れ落ちた。
私の頭を小さなお婆さんの手が何度も往復する。そのゆっくりとした動きが、混乱した頭を急速に落ち着きを取り戻す。



「村の奴らが、」
「うん?」
「日が昇る頃に私達を殺しに来るわ。お婆さん、逃げよう。すぐに準備するから少し待っていて。」
「お前1人で逃げるんだよ。」
「え?」
「聞こえなかったのかい?お前1人で逃げるんだよ。」
「な、にを、」
「さっき言ったばかりじゃないか。婆が守るって。それに、いつかこうなる事はわかっていたよ。」
そこには、穏やかに微笑んだままのお婆さんがいた。
なんで?どうして?わかっていたならどうして教えてくれなかったの?
お婆さんまで居なくなってしまったら、私は。
「私は十分に生きた。地獄のようだった生活で、お前たち姉弟にどれだけ救われたことか。
こんな殺伐とした村でもお前たちだけが私を支えてくれた。今、その恩を返そうじゃないか。
まあ、あれだね、お前が独り立ちできる歳になるまで時間を与えてくれた村の奴らには感謝しないとねぇ。」
「いやっ...イヤだ!なんでそんなこと言うの⁈救われたのは私達よ‼︎拾って育ててくれて...奴隷のように扱うことも、お婆さんはしなかった。
私達はずっと守られていたのに!
お婆さんと一緒じゃなきゃ私も逃げないから‼︎」



ーーーーパンッ



じん、と打たれた頬が熱くなる。
大した力じゃなかったのに、私の心は砕け散った。
「..お、ば」
「我儘を言うんじゃないよ。私は歩く事が出来ないのに、村の外の無法地帯にこの老体を引きずって行こうっていうのかい。
お前はそんなに強いのかい?自分の身を守る事で精一杯だろう。違うかい?」
「.......」
その通り、その通りだ。私は弱い。一人じゃなにもできない。
悔しさで目の前が歪む。
「私を置いていきなさい。お前は生きるんだ。
人は必ず死ぬものだ。そうやって命をつなぐ。
だから、」
ぐいっと顔を持ち上げられて、強い目の光と視線がかち合う。
ああ、この人はもう決めてしまっている。
どんな事をしても、お婆さんの意思は覆らない。
「今から辛く、厳しく、苦しい戦いが始まる。でも、どんな状況でも生きる事を諦めるんじゃないよ。おまえに命をつないだ私を無駄にしないと約束しておくれ。」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい......!」
「さあ、いきなさい。空が白んできた。奴らがそろそろ来るだろう。
愛しているよ、私の最愛の娘。必ず生きるんだ」
「わたっ...わたしもっ愛してるから、お婆さんっごめんなさいごめんなさい.....!」


泣きじゃくりながら、ない荷物をまとめて最後に使い古した自分で作った弓を肩にかける。
「風邪をひかないようにね。体には気をつけて。お前とあの子が出会える事を願っているよ」
振り返ると、変わらずに穏やかに笑うお婆さんがベッドで手を振っていた。
日差しがゆっくりと部屋の中に入ってくる。
人の気配はまだ少し遠くかんじる。



私は、今日というこの日を決して忘れる事は出来ないだろう。
震える体を叱咤して、残酷な仕打ちをする私を許してなんて言わない。せめて別れはいつも通りに。

「行ってきます。」
「ああ、行っておいで」

私が走り出した数分後に、怒号と陶器の割れる音が聞こえたような気がした。

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