蜂蜜漬け紳士の食べ方

もしかしたら。
早口だったこの返答は、伊達に何かを悟らせたのかもしれない。


「…校正?」

「はい、その、…仕事が、終わらなくて、持ち帰ってきたんです」


もしかしたら。
ぎこちないこの返答は、伊達に何かを悟らせたのかもしれない。

しかし彼の表情は何も変わらなかった。ひきつることもなく、何一つとして。
「そう、なら仕方ないね」と、以前と同じ言葉を口にして。


「じゃあせめて車で送っていくよ。もう深夜だし、君一人じゃ危ないだろう」

「大丈夫です、電車ですから」

「しかし…」

「大丈夫です、心配しないで下さい」


立ち上がりかけたところで、アキはまるで自分の言葉に首を絞められるような錯覚を覚えた。

自分で口にしたセリフに自分で傷ついている。
この状況がどうしても嫌で嫌で仕方なくて、彼女は逃げるように鞄をひっつかみ、ソファから勢いよく立ち上がる。


「いつもすみません、あの、仕事ばっかりで」

「いや、お互い様だろう。無理を言って悪かったね」


玄関口。
足底からヒヤリと冷えたフローリングを突き抜け、玄関ドアに手をかけていく。


「夜分遅くに失礼しました…」


頭を下げたのち、見えたのは伊達の柔らかい笑顔だった。


「いいよ。くれぐれも無理はしないようにね」


そう言って、セットが崩れたアキの髪を愛おしげに撫でて。


「じゃあ、また」


大きな手で、まるで小さい子をあやすような撫で方で。


「…おやすみなさい」

「おやすみ」


アキはもはや、伊達を直視出来なかった。

胸をぎりぎりと締め付けるのは、罪悪感と、それと…。



深夜であるにも関わらず、彼女はマンションから走るように逃げた。

伊達から逃げたかったのか。
それとも中途半端な自分から逃げたかったのか。

いくら伊達のマンションから離れても、アパートに帰っても、頭の中は乱れたままで、何一つ回答など得られなかった。



この深海のどこに潜っても、果たしてそこに答えや解決策があるのかすら分からない。

その時の彼女に、無駄骨かもしれない潜水を繰り返す気力など、もはや一瞬もなかったのだった。

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