僕と、君と、鉄屑と。
 応接室に戻ると、あの下品な女は、退屈そうにアイスコーヒーを飲んでいた。
「お待たせしました」
「おっそ」
社長は笑って、女の前に座り、名刺を出した。僕はドアのそばに立ち、その光景を、観察する。
「野間直輝と申します」
「どうも」
「お名前を、お聞かせ願えますか」
「サエキレイコ」
「レイコのレイは、どんな字ですか」
女は、社長の名刺に、乱雑に名前を書いた。『佐伯麗子』それが女の名前。
「あなたにぴったりのお名前です」
「そうね」
「年齢をお伺いしても?」
「二十八」
「そうですか」
麗子はぼんやりと、目の前に座る、社長を眺めている。おおかた、高そうなスーツだ、とか、イケメン(ああ、僕はこういう俗語がとても嫌いなのだが、このような知性も品性の欠片もないような薄汚い女は、他に社長を形容する単語を知らないであろうから、僕はそう、表現しているだけで、僕は決して、そのような単語は使わないということを、誰にでもなく断っておきたい)だとか思っているのだろう。
「早速、契約のお話をいたしましょう。私はまわりくどいことが嫌いなので、単刀直入に、ご提案します」
「うん」
「月、百、でいかがですか」
麗子は、何も言わない。不足なのだろうか。
「必要なものは、別に、実費でお支払いたしますよ」
「ふうん」
そっけなく頷き、新しいタバコに火をつけた。
「でも、意外ね」
「何がですか」
「『契約』とかいうから、どんなブサメンかと思ったら。結構イケてんじゃん、あんた」
「お褒めに預かり光栄です」
社長は優しく微笑み、軽く、頭を下げた。そして麗子は、突然饒舌に話し始めた。
「あ、もしかして、ド変態とか? あー、私さあ、シモは無理なのよ。SMなら……そうね、痛いとかは無理なんだけど、まあ、だいたいのことはしてあげるわよ」
「安心してください。私に性癖はありません」
「そうなの? じゃあ、ヅラだ。ねえ、そうでしょ」
僕はこの、ド下品な女にイライラしていた。しかし、社長はソファにもたれかかり、可笑しそうに笑った。
「おもしろいなあ、麗子さん。でも、残念ながら、それもハズレです」
「ふうん。まあ、いいわ。ねえ、部屋もあるんでしょ? そこのメガネがそう言ってたんだけど」
メガネ……僕のことか。
「もちろん、お部屋もご用意していますよ」
「そう、最高。で、どうすればいいの? あんたがやりたくなったら、その部屋であんたの相手をすればいいわけ?」
「いえ、そうではありません」
「え? だって愛人契約でしょ? じゃあ、他に何するっていうのよ」
「愛人、ではありません」
「はあ? じゃあ何? まさか、お友達、とか言わないわよね?」
「彼から聞いていないのですか?」
「契約、としか聞いてないわ」
「なるほど。では、お話ししましょう。あなたには、私の、妻になっていただきます」
麗子は、指に挟んでいたタバコを危うく落としそうになった。やめてくれ。下に敷いてあるカーペットは、正真正銘、本物のペルシア絨毯だ。
「ちょ、ちょっと待って。妻? 何? それって、まさか……」
「結婚、していただきます」
しばらく麗子は口をポカンと開けて、社長の顔を眺めていた。
「じょ、冗談、よね?」
「冗談、ではありません。とりあえず半年間、私の妻としてふさわしい女性になるよう、教育を受けていただきます。その間の契約料が百万です。半年して、妻としてふさわしい女性になっていれば、契約料の上限はなしにします。あなたは、一生、生活に困らない。優雅で、贅沢な生活を保障しますよ」
「……もし、なれなかったら?」
社長はその質問には答えず、僕に目で合図し、僕は、持っていたブリーフケースから、一万円札の束を六つ、テーブルに置いた。
「さあ、どうしますか?」
僕は冷静に、麗子に聞いた。
「どうするって……バ、バカバカしい! 帰るわ!」
麗子はタバコを灰皿に押し付けて、立ち上がった。ふむ。第一段階は、突破したか。
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