透明探し
その通り、飯村とはマスターの名だ。
名前を飯村裕二と言い、私を含む常連の客からはテンプレートに親しみを込めてマスターと呼ばれている。

笑顔が素敵な中肉中背中年男性であり、常識人と呼ぶには些か博識が過ぎる程にその知識は手広く、鼻下のヒゲ、白髪混じりの頭髪がよく似合うダンディズムも持ち合わせ、女性だけならず男性をも魅了する低い声、明るさを湛えた瞳、その笑顔、彼の所作の一つ一つには美しさと無駄の無さがあり、割に性格は快活で陽気、そして思慮深くーーー。

要するに褒めどころに困る事のないほど良くできた人物だと言うことである。
私が恋慕のイロハも知らぬ年端に出逢っておればまず間違いなく彼に魅了され、叶わぬ恋に身を焦がして毎日珈琲に涙をアクセントとして垂らしていた事だろう。

残念な事に私はそれ程までに若くはなく身の程も知り、珈琲のアクセントには“疲れ”という何にでも合う調味料を使用している。
確かに彼は魅力的ではあるけれど、現実を見据えてしまっている私には些か見え方が違った。
私が純粋であればこの歳であっても、叶わぬ恋に熱を吹き込み叶わぬとは思わなかったのかもしれないが。

御託はともかく、マスターはそういう人だ。
優しく丁寧で、かつ砕けてもいる当たりの良い人だ。
そんな彼を気安く呼び捨てるなど言語道断である。
彼はそういう人であるからその程度に腹を立てたりはしないだろう。
代わりに私が立てる。
怒りに視線を泳がす。
畏れ多き暴挙を許すまじと声の主を探す。
声を認知し、そして怒りを使って彼女の存在を認知したとき、その極めてふわふわとした怒りの焔は静かに鎮火した。
すぐさま鎮火した。
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