元教え子は現上司
 駅に着くと、大学生くらいの集団だろうか、楽しげに笑う声が改札口前に響きわたっていた。
「聞かないの、さっきのこと」
 このひとは今自分の上司だ。生徒風に言えばタメ口、で話す時間は終わりかと思って迷ったけれど、結局押し
通すことにした。
「聞いていいんですか」
 改札口の手前、鞄から財布を取り出しながら淡々と尋ねてくる。さっさと帰ろうとして、きっとそれができることに無性に腹が立つ。

「聞かないで、ください」
 暁はふっと目を伏せて、わずかに顎を上下した。頷いたんだということに一瞬遅れて気がつく。碧と暁の後ろで、来たばかりの電車から降りてくる人と乗り込もうとする人たちが忙しなく通り過ぎていった。

「ずいぶんモテるんですね」
 言ってから気がついた。

 私、引き止めたいんだ。

 暁が訝しげに眉を寄せる。ちょっとでもいいから表情を変えさせたくて、碧は笑顔を作った。
「会社の子が言ってたよ。カッコイイって」
 敬語と織り交ぜて使う「タメ口」。はかりかねてる距離を自分の中で勝手に微調整してる。
 そっと詰めてみたいような衝動に駆られて。

「あんた、なに考えてんだよ」
 唐突に口調が変わった。けれどそれは、碧の望んでいるものとは違っていた。

 口調と同じ、凍るような冷たい眼。目があって後悔の波が襲うようりも早く、暁は言った。
「俺のことなんだとおもってんの」
 怒ってる、とても。
 かがり火のように燻って残る興奮は、心に灯るよりも前にかき消された。

「あんたのこと、今まで忘れたことなんてなかった」
 暁がザリ、と革靴で歩み寄る。通り過ぎる人がちらちらと見て歩く。碧はおもわず一歩後ろに下がった。

「絶対に許さない」
 
 低い声だった。冷たい目は、感情を宿していた。
 燃えるような怒り。

「あんたのこと、大嫌いだ」

 心に言葉が突き刺さった。今までより少しだけ幼いその口調に、皮肉にも出会ってからはじめて高校生の彼が重なった。

 碧になにか言う隙を与えず、暁は改札をすり抜けていった。
 ホームの階段に向かって走っていく暁の後ろ姿を、ぼうっと見つめていた。

 いつも背中を見てばかりだな。
 
 潰れてしまいそうな心の隅でおもった。
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