おじさまと恋におちる31の方法


頭痛が痛い。

間違った、頭が痛い。



もはや紗江の口には引きつけしか起こらなくなり、隣のマスターも同じようにポカンと小説家を見ている。

「この人は知的で良いわ」、なんて思うんじゃなかった!
気を利かせて紅茶なんて奢るんじゃなかった!

何が「恋人ごっこをしよう」だ!
何を言っているんだこのオヤジは!!


…という叫びをゴックリと確実に胃の中へ飲み込み、紗江は笑顔を無理やり作る。


「…ええと、飯村様?当店ではそのようなサービスを行ってはおりませんので」

「うん。だからサービスじゃなくて、取材の申し込みなんだが」

「ですからそういう…」

「あのー…飯村様」


ここでいよいよ、マスターがしゃしゃり出る。

行け!マスター!この30代のとんちんかん男に言ってやれ!


「営業時間外で、私も立ち会いで良ければ話くらいなら……いてっ!」


思っていない援護射撃に、マスターの腹へ紗江の肘が飛ぶ。


「マスター、どっちの味方なんですか!」

「うーん、でも小説の参考になるならいいじゃない?」

「そうじゃなくて!私、一ヶ月恋人ごっこしろって言われてるんですよ!?」


立派な口髭に似合わず、マスターはエヘヘと淡い笑顔を零す。


「それはまあ…そうだけどさあ…でも何をしようと一ヶ月過ぎれば良いんでしょ?
だったらここで一ヶ月時間を過ごせばいいじゃない、ね?」


「…いえ、あの…ですからそれはそれで…見ず知らずの人間に」

「見ず知らずじゃないよー、常連さんだよ」


ひそひそ声にもなっていない飯村の目の前での言い争いに、彼もまた動じた様子はなかった。


「そうだね、じゃあとりあえず手付金で」


骨々しい手が、紗江の手中へ何かを握らせた。

カサリとした分厚い感触に、それが5万円だと知ったのはすぐだった。



「こっ、こんなの頂けません!」

「人生はいつだってギブアンドテイクだからねえ。
まあ、今日の紅茶代と、お嬢さんの気遣いに感激した僕の気持ちと思ってくれないか」


返そうとする私の手をヒラリと交わし、彼はクスクスと楽しそうに笑い、颯爽と喫茶店のドアベルを鳴らした。





「良い返事を待っているよ、お嬢さん。じゃあまたね」



彼と入れ違いに入り込んだ雨上がりの匂いは、茫然とした二人とは真逆に、実にさわやかなものだった。




内海紗江、28歳。

前途はまさに多難である。

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