暗闇の恋
昨日バイト終わりに携帯を見るとまどかからメールが入ってあった。
開けると明日会いたいと書かれていて、僕はすぐに返信をした。
バイト終わりで急いで待ち合わせ場所に来てみたが、約束より早く着き過ぎてしまった。
正直まどかに会える事は嬉しかった。
勝手な感情だが、一度は本気で結婚したいと思った相手だし、あんな終わり方したせいもあって、ずっと引っ掛かっていた。
会いたいって何の用事なんだろう?
やり直したい…とか?
まさかそんなわけはない。
あんなに傷付けたんだ、この考えはムシが良すぎる。
少ししてまどかがやって来た。
久しぶりに見る、まどかは少し前髪が伸びて大人っぽくなっていた。
首筋を流れる汗が一層大人っぽく見せた。
まどかは久しぶりの手話で変わらない笑顔と優しさで話だした。
『あの子とうまくいってる?』
と、聞かれた。
歩のことしかない。
僕は正直に話した。
もうダメだと…。
僕は歩とはきっと付き合えないだろうと、最近思い出していたから。
まどかは何かを言いかけて止まり俯いた。
どうしたと聞くと顔を上げた。
何か気合いを入れたような顔…思わずこちらも身構えた。
なのにまた、まどかは俯いた。
一体何なんだ?
ゆっくり顔上げて何かを見てる?
いつもと違う、まどかに戸惑ってしまう。
僕の視線に気付き我に返ったのか、まどかは早口で早い手話で説明した。
まどかは休学を取り下げ大学に復帰すると言った。
僕は正直嬉しかった。
また、まどかと同じく通えるんだと思った。
けど、やっぱりわかってたとはいえ、やり直したいの。じゃなかったことに少し残念な気持ちにもなった。
この後晩メシでもと誘ったけれど、無視された。
しまった…いつもと変わらない様子に甘えて誘ったけど、軽率だったかもしれない。
いや、聞いてなかったようにも思えた。
もう一度聞いてみると、今度はOKを貰えた。
なんだ?まどかの意識が此処にないことはわかったけれど、なにが気になってるんだ?
まどかの視線の先を見るのに振り返って見たけれど何かがあるわけでもなかった。
まどかは目をつむり耳を傾けている。
あぁそっか、もしかしたら店内ではまどかの好きな音楽がかかってるのかもしれない。
付き合ってる時よくそんな事があったと思い出した。
じゃ少し待っておこうと思った。
けれど、そう思った瞬間まどかは席を立った。
表情は見た事ない程怒りに満ちてる様に見えた。
どうした?聞くと、まどかは僕の手を握り手話を止めて、待っててと言って歩き出した。
まどかを目で追う。
隣まで行って足を止めた。
誰か居る?
身を乗り出し隣の席見た。
歩!?なんで此処に歩が居てる?
まどかが気にしていたのは歩だったのか!?
咄嗟にまどかの腕を掴んで引いた。
「離して!!」
まどかは力いっぱい僕の手を振り解いた。
まどかの表情は今にも泣きそうな顔になった。
まどかの声を聞いたのか、歩が振り返った。
きっと、まどかは歩を責めるつもりなんだ。
歩のせいで僕たちが終わったと…。
僕は咄嗟にまどかと歩の間に割って入った。
その瞬間まどかはまた怒りを露わにした。
「郁の耳が聞こえなくなったのが、あなたのお父さんのせいってどうゆうこと?!」
目の前のまどかの唇がそう告げた。
頭の中が真っ白になった。
まどかは何を言ってるんだ?
僕の耳がなんだって?
歩のお父さんのせい??
まさか…そんなはずないじゃないか。
僕は歩に向かって聞いた。
しかも手話で…。
歩は手話なんて見えないじゃないか。
僕はまどかに伝えてとお願いした。
まどかの唇がさっき僕のした手話の意味を伝えた。
なのに、歩は黙ったまま下を向いている。
まどかを見ても、歩の友達を見ても反応がない。
下を向かれてるとはからないけれど、二人の反応と歩の肩の揺れ方で黙っているとわかる。
なんで、何も言わない。
なんでもいい…弁解して欲しい。
沈黙のまま居ると前から店員が来て注意をされた。
とりあえず座りましょうと歩の友達が言ったので、僕たちは同じテーブルについた。
少し自分を落ち着かせた。
責める様に言っても歩は話さない。
いや、話せなくなる。
僕の方が年上なんだから落ち着かなくてはいけない。
僕はゆっくりと歩の手のひらに文字を書いた。
歩は、歩自身が4歳の時父親と一緒に車に乗っていた時に事故に遭い目が見えなくなったと言った。
続けて話そうとしたけど、まどかが止めた。
自分は席を外すと言い出した。
待って!!僕はまどかに居て欲しかった。
止めようとした矢先、先にまどかを止めたのは歩の友達だった。
その子はまどかに聞くべきだと言って帰って行った。
僕の居て欲しい理由とは違い、あの子はまどかの事を考えてだった。
自分の幼稚な発想が嫌になった。
友達が出て行くのを音で聞き、歩はまた話し出した。
歩は、その事故の相手が僕だったと言った。
自分も最近その事を知ったのだと…。
聞いていると辛くてたまらない。
途中まどかが手を握ってくれた。
すがる気持ちで握り返した。
今、この優しさは素直に嬉しい。
歩は話を続ける。
知った上でどうやって僕に話したらいいのかわからず迷っていた。
知った上でどうやって付き合っていけばいいのか、わからないでいたと…。
付き合っていけば…?
僕にはその考えは浮かばなかった。
もしこのまま、歩の父親がしたことで、歩も僕と同じ被害者だと思ったとしても、感情がついていかないだろう。
歩に会うたび、歩に触れるたび、きっと父親が浮かんでしまう。
それに母さんだって悲しむ。
あれ、でも、なんで母さんは井伊垣と聞いて知らなかったんだ?
あぁそうか…考えればわかることじゃないか!?
今の姓は母親のだ…父親が亡くなったのだから旧姓になるはずだ…。
そっか…そうか…。
あの時点で気づいていれば、こんな未来はなかったのに…。
「郁?お父さんがしたことだけど…関係ないよね?」
僕の様子を伺いながら歩は不安そうに聞いてきた。
バカじゃないのか?
関係ないわけないだろう!?
そう思えるなら、どんだけ楽か。
僕は歩との未来を思い描くことは出来なかった。
歩にさよならと告げた。
心が巨大な手に掴まれ潰される想いだった。
僕は歩に告げると、すぐに席を立った。
まどかに行こうと言って入口に向かった。
入口まで来て振り返った。
歩がまどかに何かを言っている。
まどかがそれに答えて伝票を手に取った。
僕は店を出た。
数歩離れた場所のベンチに腰を下ろした。
すぐにまどかが来て声をかけてきた。
何も聞かれなかったけど、僕の名前を呼ぶその顔が僕を心配していた。
まどかは久しぶりに何か作ろうかと言ってくれた。
その言葉は気分を紛らわせてくれた。
買い物をして家に帰った。
この家にまどかが居る事が少し嬉しいと思えた。
まだ暑さが残るこの季節は部屋を蒸し暑くさせていた。
急いで扇風機を回した。
今年の夏は冷房を買うつもりでいたけれど、まどかが出て行って必要ないと思って買わないでいた。
少し休もうと、まどかに言うとまどかは距離を開け座った。
『あんな偶然ありえないだろ!?』
どうにかして、最悪の事実を笑い話にしたかった。
けれど、まどかはクスリともせず、真っ直ぐ僕を見ている。
『僕の耳奪った奴の娘??そんな奴の娘と恋愛なんて出来るわけないよな。そんなこと知ったら母さん倒れてしまうだろ…?』
言えば言うほど、自分が窮屈になっていく。
『なんだよ…なんでなんだよ…。』
まどかの真っ直ぐの目が僕の心を撫でてるように思えた。
僕は堪えきれず、泣き出した。
まどかに見られたくなかった。
あんなに傷付けた相手に見せていい涙ではない。
少しすれば収まる。
僕は息を整え泣き止もうとした。
『ごめん、ごめん。さっ晩御飯しよう。』
顔を上げて言おう。
顔を上げた瞬間まどかが勢いよく迫ってきた。
僕を力いっぱい抱きしめた。
けれど力が入らなかった僕の体はまどかに押し倒される様に倒れた。
これはヤバイ。
今この状況はかなりヤバイ。
また、まどかの優しさに甘えてしまう。
僕はまどかを突き離した。
帰って欲しいと、またまどかに甘えてしまうと言ったのに、まどかはそれでもいいと言った。
いやいや、それはダメだろ!?
なのに、まどかは僕のそばに居たいと言って泣き出した。
こんなに僕のことを想ってくれている…。
でも一度僕はまどかを裏切った。
それでもいいというのか?
「私が郁を幸せにする!だから、あの子の事は忘れて!」
ボロボロと涙を零し言う彼女が愛しく思えた。
こんな僕を愛し必要としてくれてるのだ。
しかも、幸せにする!と言った。
まどか…それは男の台詞だよ…。
僕はまどかを抱き締めた。
そして、ゆっくり体を離した。
まどかと目が合う。
時間が止まってるような気持ちになった。
まどかは目瞑る。
僕はそっとキスをした。
最初の時と同じようで同じじゃない。
今はただ、まどかが愛おしい。
忘れたい思いはあるけれど、その為にまどかを抱くんじゃない。
ただ、まどかを感じたくてたまらない。
まどかは腕を伸ばして、僕の名前を何度も呼んだ。
初めてだった。
この時、相手の声を聞きたいと思ったのは…。
どんな声で僕を呼び、どんな声を出してるのか…。
尚更歩の父親に怒りが湧いた。
まどかを抱き締めた。
耳のそばまで近づけた。
聞こえるわけないのに…。
冷房のない部屋は熱気が充満して僕の思考を鈍らせた。
久しぶり抱いたまどかは、前より綺麗だった。

この日まどかは僕の隣で朝を迎えた。


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