マネー・ドール -人生の午後-
「できた?」
 キッチンに立つ私の背中を抱きしめる慶太。涼くんがちょっと恥ずかしそうに見て、姉妹は顔を見合わせて笑ってる。
「もう、みんなの前だよ」
「あっ、そうか。いつもの癖で」
 慶太は冷蔵庫からビールを出して、私の座ってたキッチンスツールに座った。
「杉本、お前も飲むだろ?」
「いや、これから夜勤なんや」
「そうか、そりゃ飲めないな。……真純、お前は?」
「いらない」
「なんだよ、俺一人かよ……なんか申し訳ないなぁ」
 ブシュって、ビールを開けて、おいしそうねえ。私も、もうちょっとお酒が強かったら、一緒に飲めるのに。
「涼くん、久しぶりだね。背、伸びたねえ!」
「あ、はい」
 テーブルの上はごちゃごちゃしてて、もうどれが誰のお皿かもわかんない。女の子二人は、オカズのケンカを始めて、涼くんがうるさいって怒ってる。
「うるさいやろ、悪いなぁ」
「賑やかでいいじゃん。毎日こんな感じなの?」
「いつもはもっとうるさいです」
 涼くんがそう言うと、うるさくないもん! て二人がまた騒いで……あー、なんか楽しい!
 慶太も、なんだか優しい顔して、楽しそう。
「ねえ、ごちそうさましていい? テレビ見たい」
「ええけど、凛、碧、食器片付けな」
「はーい」
 二人はキッチンまで食器を持って来て、どこに置くの? て聞いた。
「ありがとう。そこ、置いといて」
「おばさん」
碧ちゃんが小声で言って、手を引っ張った。口元に耳を寄せると、ハンバーグの匂いがして、手もちょっとベタベタしてる。
「なあに?」
「ママのハンバーグよりおいしかった」
「まあ、嬉しい!」
 二人はソファへ行って、今度はチャンネル争い開始。
「ごちそうさまでした」
「あら、涼くん、もういいの? まだあるよ?」
「はい、お腹いっぱいです」
涼くんも流しに食器を置いて、ソファへ行って、チャンネル争いに参加。
 テーブルでは慶太と将吾が微妙な空気で座っていた。なるほど、涼くんは空気読んだのね。気つかわせちゃって……
「お待たせ」
「やっときた。いただきます!」
「どう?」
「うん、美味い」
「そう、よかった」
「仕事、忙しかったんじゃないんか?」
「予定がね、キャンセルになったんだ。政治家先生ってのは、ほんと勝手だから」
「あなたもね」
「俺は勝手にされてるだけだって」
将吾は、私達の会話を聞いて、笑った。
「仲ええなあ」
「そ、ラブラブなの、俺達」
「佐倉、ほんまに、ありがとうな」
 でも、慶太はちょっと俯いて、小声で言った。
「杉本、お前は男っぷりもいいし、体もでかいし、優しいし、ほんとにな、凄えヤツだと思うんだよ。それに比べて、俺は女々しいし、性格悪いし、人望ないし……」
「そんなことないやろ」
「でもな……俺は殴らないよ」
 慶太……
「過去に一回だけ、あったなあ、真純……」
「そんなことも、あったわね」
「今でも、後悔してる。あの時の、真純の腫れた顔とか、今でも、思い出すんだ。なんて、バカなことしたのか……」
 慶太は、チラリと子供たちを見て、微笑んだ。
「かわいいなあ」
「そうね、かわいいね」

 私達には、許されなかったこと、それは……子供。
 偽りの夫婦だった私達には、許されなかった。

「杉本、男はな、強いんだよ、物理的に。女や子供より、物理的にな、強いんだよ。そんな相手に、物理的な強さを見せて、何があるんだ? 勝つに決まってんだよ。こんなひ弱な俺でさえ、真純には勝てるよ、腕力なら。腕力だけならな」
「……情けないな、俺は……」
「ああ、情けねえよ、杉本。お前はそんな情けねえヤツじゃないだろう。そんなことしなくても、お前は強いんだよ。涼くんに、俺みたいになれって、言えるか? 凛ちゃんと碧ちゃんに、パパみたいな男選べって、胸張って言えるか? 聡子さんにさ、お前と一緒になったこと、後悔させない自信あるか?」
 慶太はポテトサラダを食べながら、普通に言った。
 普通の会話してるみたいに、普通に言った。
 グレーのスエットスーツは、もうヨレヨレで、そのヨレヨレの首元から覗くカルティエのネックレスと、バッチリ決めた髪型がアンバランスで、言ってることと、言い方もアンバランスで、なんだか、それが逆に、将吾の胸に、すんなり届く気がした。
「自分でも、わかっとるんや……」
「わかってるなら、やめろ。やめないなら、わかってない」
「佐倉……俺は……」
「やめないなら、うちで引き取るよ、あの子たち」
慶太は軽く言ったけど、目は真剣で、きっと、本気で言ったんだと思う。

「聡子さんのこと、自由にしてやれよ」

 慶太の言葉に、私達は、何も言えなかった。
 私も将吾も、何の罪もない、あの人を、傷つけている。
 聡子さんのすべてを、奪っている。

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