マネー・ドール -人生の午後-
「もーんた」
 もんた。門田、だから、もんた。新入社員の頃の、あだ名。
そんな呼び方するの、もう、あなたしかいないね。
「みりちゃん」
 彼女は、最後の同期。美里、だから、みりちゃん。
私が学卒で入社した年は、就職難で、前年まで二十人いた新入社員は、たったの五人だった。女子社員は私達二人で、後の男子三人は、もう辞めてしまった。私が、出世していくたびに、彼らは、辞めていった。
「何、ぼーっとしてんの?」
「なんでもない。何、どうしたの? こんな時間に、珍しいじゃん」
 みりちゃんは、総務部の、俗に言う、お局さん。
一緒に広報部に配属されて、私が企画部に行ってから、彼女は一人で広報にいて、社内恋愛で結婚して、今は、二人の子供のママ。

 打ち合わせでお昼を食べ損ねた私は、テラスで菓子パンを食べていた。
「相変わらず、菓子パンなんだ」
 彼女とこうやって話すのも久しぶり。メールとか内線で、ちょくちょく愚痴は聞いてたけど、顔を合わせて話すなんて、何年ぶりかしら。
「手軽でいいじゃん。お腹いっぱいになるし」
 みりちゃんは、私の隣に座って、ペットボトルのお茶を開けた。
「辞めんの」
「え?」
「退職、するのよ」
「ウソ……ウソでしょ?」
「今日で、最後なのよ」
 足元には、紙袋と、小さな花束が、あった。
「どうして? ねえ、そんなこと言ってなかったじゃん」
「うん……まあね」
「何か、あったの?」
「……妊娠、したのよ。三人目」
 みりちゃんは、そう言って、微笑んで、お腹を撫でた。
「へえ! おめでとう。でも、なんで? 産休、とればいいじゃん」
 私の言葉に、彼女は、ふっと、遠くを見た。
「もうねえ、疲れたのよ。二人共そうやってきたけどさ、若かったじゃん? これからお腹が大きくなって、また寝ずの育児が始まって、保育園の送迎して、家事もしてって……ちょっとね」
 ふと見た横顔には、シワとシミが出てて、伸びた生え際には、ちらちら、白髪が見える。
 ……歳、とったんだ……みりちゃん。そうだよね、もう、四十だもんね。私も、歳とった。
「そっか……」
「それにさ、別に、もんたみたいに、仕事ができるわけでも、楽しいわけでもないし。旦那もさ、まあそれなりに出世して、お給料もよくなってるし、ここまでして働く意味もね、ないのよ。彼もね、もう無理しなくてもいいって言うし、まあ、また、子供が大きくなったら、どっかの会社で事務員でもやればいいかなって」
 私が新入社員だった頃は、まだ、女子社員は、『腰掛』なんてのが、まかり通っていた時代だった。
五年くらい働いて、いい人を見つけて、結婚して、寿退社する。それが、まだ、『普通』な時代だった。

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