文月~平安恋物語
大納言につきそわれ、初めて足を踏み入れた三条邸は、貴子にとって全くの異世界であった。
お行儀の悪さも、母を亡くした悲しみも忘れて、貴子は辺りをきょろきょろせずにはいられなかった。
美しく整えられた庭、涼しそうに音を立てる滝、磨き上げられた床、控えている女房たちのさわやかで美しい衣装…。
高貴な生まれとその人柄から、京の都における大宮の影響力は強かった。
その大宮の前に出るのだと思うと、緊張のあまり体が震えてしまう。
「よくいらっしゃいましたね」
御簾の向こうから声が聞こえた。
「式部、御簾越しではつまらないわ。上げてしまいなさい」
式部と呼ばれた女房が、しずしずと衣ずれの音をさせながら御簾を上げていく。
そして姿を見せた女性を見て、貴子はこの女性が本当に自分のおばあさまなのかと、思わずにいられなかった。年齢は五十歳を超えているのだが、とても若々しく、「おばさま」いや「おねえさま」とお呼びしてもよいくらいなのである。
「今日から貴女も三条邸の姫ですよ。貴女とほとんど年齢の変わらない美子(よしこ)もおりますから、仲良くしてくださいな」
美子姫というのは、大宮の末娘で、貴子よりも二つほど年齢が上の姫君であった。いずれは帝か東宮に入内して皇后に、という噂もある妃がねの姫君である。
年齢が変わらないといっても、帝のお后になるような姫と仲良くするなんて恐れ多い気がして、冷汗が出てくる。
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