どうぞ、ここで恋に落ちて

振り返ってみると、マスターは私たちが座っているカウンターの斜め後ろにあるボックス席へ行き、さらさらした長い黒髪の女性におしぼりを渡す。


「ほら、これで拭いて」

「はぁーい」


女性がいるのは4人が座れるテーブルだけど、その席には彼女の他に男性がひとりいるだけみたいで、ふたりは隣り合って座っていた。

男性が彼女からおしぼりを受け取って、汚れを拭くのを手伝ってあげている。

ちょうどマスターの陰に隠れて男性の顔は見えなかったけれど、女性の方は厚めの紅い唇がセクシーな、顔立ちのはっきりした美人さんなのがわかる。


場が落ち着くのを何ともなしに見守っていると、テーブルの上に倒れたグラスと中身を片付けるために背の高いマスターが腰を屈めた。


「えっ」


そこで初めて見えた男性の横顔に私の目は一瞬で釘付けになり、喉の奥から声がもれる。


「あれ、もしかしてあの、隣にいるのって……」


私と同じように後ろを振り返っていた伊瀬さんも彼に気が付いたのか、首を伸ばしてあちらを伺う。

寄り添うように座る女性を受け止めながら、飲み物で汚れてしまった彼女の服を甲斐甲斐しく拭いてあげているその男性は、他でもない、この2日間私の頭の中を占領するその人。
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