どうぞ、ここで恋に落ちて

《え、高坂さん?》

「す、すみません、いきなり……あの、樋泉さんにご報告があって」

《あ、いえ、えっと。報告ですか?》


電話の相手が私だと知った彼は、私が予想していたよりも驚いているみたいで、電話の向こう側でちょっと慌てているような雰囲気が伝わってきた。

いつもより低く聞こえる樋泉さんの声は少しだけ掠れていて、私と同じで屋外にいるのか、人の話し声や車の音が小さく聞こえる。


「実は、先週樋泉さんにアドバイスをもらった棚の売れ行きがすごくよくなったんです。それだけじゃなくて、他の棚に置いてある翻訳モノに興味をもってくれるお客様も増えて。本当にありがとうございました」

《あ……ああ、なるほど。よかったですね。お礼を言われるようなことはしてないですけど、嬉しいです》


用件を知って納得した樋泉さんはいつもの落ち着きを取り戻し、私が想像した通りの返事をくれた。

ほらね、思った通り。

これ以上何かが起こるはずもないのに、この電話をかけるまでに一日中悩んでたなんて、樋泉さんが知ったら理由がわからなくて困惑するだろうな。

今日一日のドキドキが指の間からこぼれ落ちていくようで、泣きたいような笑いたいような気持ちになる。
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