百万本の薔薇
(六)決断
栄子の姿を入り口に見つけた松下は、大きく手を振って呼び寄せた。
栄子も又すぐに松下の姿を見つけ、軽く会釈をした。
うんうんと頷く松下だったが、栄子の後ろに立つ青年を見て愕然とした。
“なんだ、あの男は。まさか調査員が報告してきたプータローか?”
困惑顔を見せる松下に
「お待たせしました」
と笑顔を見せる。不機嫌さを隠しもせずに
「不愉快だ、ぼくは。どうしてこの若者が居るんですか」
と、噛み付いた。
「それについてはお詫びします。ただ彼もまた、わたしにプロポーズをしてくれています」
“わたしのペースに持って行かなきゃ”と、涼しい顔で答える栄子だった。
それに気をよくした正男も
「そうだとも。ぼくにもここに居る権利があるはずだ」
と、胸を張った。
引き下がるわけにはいかないのだ。父親との確執を越えての今夜なのだ。

昨夜のことだ。両親から激しく詰め寄られた。
母親から栄子との交際について聞かされた父親が、珍しく定時に帰宅した。
そしてバイトに出かける正男を足止めさせていた。
「ダンサーなんぞにかまけて、一体どういうつもりだ。
一夜限りの遊びならまだしも、結婚だなどと騒ぎ立てているようだな。
あいつらはな、まともな人間じゃないんだ。
ロマンという化け物に取り憑かれた魔物だ。
湯水のように金をつぎ込んでも、もっと! と叫ぶような、与えても与えても愛の証しを求めて止まぬ人種だぞ。聞いてるぞ、お母さんから一体幾らの金を引き出したんだ! それは授業料だとしてもだ。
これからの一生を台無しにするつもりか!」

うつむいて聞いていた正男だったが
「ぼくの人生なんだ。父さんの言いなりにはならない。借りた金は、きっと返す。
それに今、クラウドファンディングで資金集めをしているから。もうお母さんにムリは言わないし」
と、勝ち誇ったように言った。
とたんに母親の顔がひきつり
「正男ちゃん。やめて頂だい、そんなことは。
お金ならお母さんが用意してあげるから。他人さまを巻き込むようなようなことだけはやめてちょうだい。
お父さまの立場も考えておくれ」
と、懇願した。父親はあきれ顔を見せ、首を横にふるだけだった。

栄子の駆け引きかとも思う松下だが、ここは慎重にと
「ママのおっぱいが恋しい年頃だろうに」
と、正男に探りを入れた。
顔を赤くして反論しようとする正男を制して
「松下さん。今夜は紳士的に行きましょうよ」
と、栄子が牽制した。 
「あなたのステイタスには相応しくないと思えたものでね。
彼には、沙織とか言う女性がお似合いだ思うんですがね。
確かにご両親は立派だ。父上が経産省の官僚、母上は華道の先生ときている。
ところがどうしたことか、彼は…」
「ど、どうして、ぼくのことを」
青ざめた顔色で正男が口を挟んだ。

しかし松下は毅然として
「別に君がどうこうと調べたわけじゃない。付録だよ、付録。
栄子さんには失礼だが、調べさせてもらいました
。パートナーになってもらう女性だ。分かって貰える思いますが」
と告げた。
「そうですか。で、合格しましたの?」
栄子が平然と尋ねる。誤解です、そんなつもりでは…と、松下が頭を下げた。
トラブルを抱えていないか、おありならば解決のお手伝いをしようと考えたと言う松下に
「別に探られて困るようなことは、なにもありませんわ」
と答えた。
「実は一つ気になることがあります。
足首のことですが、ぼくの知る整体師に診せませんか。名医と評判なのですが」

二人の会話に入れない正男が、
「栄子さん、ぼくと結婚して下さい。
今、クラウドファンディングで資金集めをしていますが、もう少しで目標の百万に達しそうなんです。
百万本の薔薇ならぬ百万円分の薔薇を、ステージに敷き詰めますから。
その上で改めてプロポーズさせてください」
どうだい! と言わんばかりに鼻を膨らませた。
「こりゃ驚いた。案外にアイデアマンじゃないか。でも、ママに相談しなくて良いのかい」
と、松下が茶化した。
「ママのことは言うな! 栄子さんのお陰で、ぼくは一人前の男になれたんだ。
もうマザコンなんて言わせないんだから」
初めて正男が噛み付いた。呆気に取られた栄子は、松下と顔を見合わせて笑い転げた。

正男が真剣な眼差しで
「栄子さん。ぼくは本気です。だからこそあなたに頼まれた金も用意したんだ。
ぼくは今はまだバイトの身ですが、恥も外聞も捨てて父に就職の世話をしてもらいます。
そしてしっかりと働いてあなたを愛し続けます。
一生をかけてあなたに尽くします。
ですから、ぼくと結婚して下さい」
と、詰め寄った。そして松下に対して言い放った。
「ぼくはこれから成長するんだ」

「与えられるものなんかで成長するわけがないんだよ。自分の手で掴み取るものなんだよ。
もっと言えば、他人から奪い取るものなんだよ」
正男にではなく、己に言い聞かせるように言い放つ松下だった。
「栄子さん、あなたは悪い人だ。
こんな純真な若者をたぶらかすとは。本心をそろそろ明かして下さい。
いや、良いでしょう。僕が彼に説明をしてあげますよ。あなたも言いにくいだろうから」
栄子にすがるような目を見せる正男と正対して
「正男くん。世の道理というものが、君にはまだ分かっていないようだ」
と話し始めた。

「現実を見なさい。君は無職の若者で、ぼくは資産家だ。この差は大きい。
百万本の薔薇だって? いいだろう、ぼくなら用意できる。
でもな、そんなもの何になる? それよりも一億のお金の方がどれほど有益かしれない」
「今はまだあなたに負けているかもしれない。
でもあなたには無いものをぼくは持っている。若さだ。
そして栄子さんを愛する、純な心だ」

必死の形相で反論する正男だが、松下は諭すように続けた。
「やれやれ、若さか。若さは未熟以外のなにものでもない。
栄子さんは、完成させなければいけない、優れた素材なんだ。
トップスターにしてあげなければいけない女性だ。
悪いことは言わない、自分の身の丈に合った女性を選ぶことだ。
沙織とかいう女性、可愛いお嬢さんじゃないか。お似合いだと思うがね」

泣き顔になっている正男だった。救いを求めるように、栄子を見た。
しかしもはや、栄子は正男を見切っていた。
健二を失った淋しさを、真正面から強い光を放つ正男で埋めようとした栄子だった。
いみじくも通い慣れたバーのママに言った言葉「今夜のペットなの」が、今思い出される。
自分はトップに立てるのか、そして上り詰めたその座は、本当に自分の居場所なのか。
違う! 自分の居場所はトップだ。
そしてそれは、今、目の前に居る松下によって与えられるものなのだ。
意を決して、栄子が二人二告げた。

「決めました、あたし。松下さん、お世話になります。
あなたの妻にして下さい。そして、トップスターにしてください。
あなたの出された条件、受け入れさせてもらいます。
待って、正男。あなたには、本当に申し訳ないことをしたわ。
あたしが相応しいかどうかなんて、初めから分かってた。
年上の女ということではなく、あたしとあなたでは住む世界がまるで違うの。

嬉しかったわ、百万円ものお金を用意しようとしてくれてたなんて。
松下さんは一億円でも…と言って下さったけれど、お金の多寡じゃなくて、気持ちよね。
でもね、あなたは分かっていない。
ネット上で夢を語って多くの支援者を募るなんて、若い人だからの発想ね。
だけど、本当のロマンというものが分かっていない。
どんな愛の姿が、女を動かすのか分かっていない。

お金の多寡じゃないって言ったけど、それは魅力的なものよ。
ねんねじゃないもの、お金で買えない物があるなんて言わない。
でもね、穴蔵のような部屋に一日こもって、モニターとにらめっこして稼いだお金をね、惜しげもなくこんなあたしに遣おうなんて…どぶに捨てることになるかもしれないのに。それが嬉しいの」

途中何度も口を挟もうとする正男だったが、その度に栄子の指が正男の口を押さえていた。
そして席を立つ折に栄子が、正男の肩に手を置き、強い言葉で告げた。
「あたしはダンサーなの。そう、トップダンサー。死ぬまでずっとね」
                (了)
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