残念御曹司の恋

「谷口さん、お世話になりました。」

にこやかな顔でお礼を口にしたのは俺が担当した山田さんご夫婦。
今日は物件の引き渡し日だった。

子供が巣立ち、これからの二人の暮らしのために、自宅の建て替えをした夫婦は、完成した家を見てとても満足している様子だった。

「こちらこそ、ありがとうございました。」

登記や税金の手続きなどの話を終えて、最後に俺も改めてお礼を言った。

単純に、お客様に頭を下げるのは当たり前のことだ。
営業マンである俺は、取れた契約数に応じた手当が出るわけで。
俺が丁寧に頭を下げる一番の理由は、もちろん家を‘’買って‘’もらったからだ。

「谷口さんのお陰です。本当にいろいろ、提案していただいて助かりました。」

それと同時に。
自分の仕事で相手が喜んでくれるのは素直に嬉しい。
仕事をほめてもらったことに対しても、お礼を言いたい。
だから、俺がすごく上機嫌でかつ丁寧に頭を下げるのは、俺自身を‘’買って‘’もらったからだ。

俺が、これ以上ないくらいに清々しい気分で山田邸を後にしようとすると、最後に思い出したように奥さんが口を開いた。

「あ、そうそう。木下さんにもお礼を。ほんとに、びっくりするくらいにお洒落な家になっちゃって。ありがとうございましたとお伝えくださいね。」

悪気なく発せられた言葉に、俺は営業用のスマイルを顔に張り付ける。

「はい、確かに伝えます。ありがとうございます。」

そう元気よく言って、もう今日何度目か分からないお辞儀をした後、車の運転席に乗り込んだ。
シートベルトをしてエンジンをかけたところで、口からは思わず溜息が漏れる。

「木下には…絶対言ってやらねえ。」

ハンドルを強く握って呟いた。
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