いきぬきのひ
 しゃきしゃきの野菜の上に冷製のフカヒレが鎮座する冷麺と、熱々の湯気をわんわんと上げたあんかけ焼きそばをそれぞれシェアしあうと、しばし無言で麺を貪る。
 だめだ、顔がにやけてしまう。
「ジュレになってんだ、このスープ。妙に麺に絡みやすくてさ、旨いよね」
「そうそうっ! 妙にからんで、って。……妙、ですか?」
「うん、そう。あれ? ほめてるように聞こえない?」
「……ええ」
 俺、ほめてのばすのは上手いんだけどな、などと嘯く彼を横目に、今度は水晶のようにキラキラしたフカヒレを一口、ほおばる。一見味が付いていない様に見えたけれど、上品なシャンタンスープでしっかり煮込まれたそれは、口の中でじんわりと美味を主張する。
 またしても、至福の笑みがこぼれる。
 一口、また一口、と夢中で箸を進めていると。ふいに視線を感じた。
 ちらりと視線を上げると、静かに笑いながら彼がこちらを見ていた。
 なんか。どう切り返して良いのか解らず、慌てて下を向いては、また麺をすすり上げるのに没頭する。
 またしても、顔が熱くなった。
「そういえばさ、逢(おう)君。いくつになったっけ」
 彼の問いかけに、慌てて麺を飲み込む。
「えと、この春から小学校の四年生ですけど」
 えぇえええっ!? と。驚愕の声をあげる彼に、またしても店内の視線が集中する。このテーブル、本日のブラック客、確定だ。
「そりゃ俺も歳取るよなぁ。俺が逢君に初めて会ったときって、確かまだ、ベビーカーに乗ってただろ?」
 そう、初めて彼に会ったのは、出産を終えて間もない初夏の頃。生まれて間もない息子と共に踏んだ初めての土地は、見渡す限りの田園風景にロケットが突っ立っているという、なんともシュールな場所だった。仕事の関係で迎えに来られない夫の代わりに、出迎えてくれたのが、彼だった。
「……って事は、佐橋が俺の所に共同研究員で来てくれてから、もう」
 静かに箸を置いた。
「10年、ですね」
 そうか、というつぶやきと共に、重苦しいため息が聞こえた。
「……今年で、七回忌だっけ?」
 彼の顔を直視できないままに、黙って頷く。
「本当に、すまない事したって思ってる」
「いえ、幸田さんは、悪くないです。それどころか、会社で無駄に飼い殺しに遭っていたあの人を、研究畑に連れ戻してくれたんですから。夫も、最後まで感謝してましたし、むしろ悪いのは、研究成果を勝手に横取りした会社側と……」
 その事実と戦う事を選ばず、あえて逃げを選んだ夫。
 その一言を彼に聞かせるのは、さすがに酷だろう、と、そっと言葉を飲み込んだ。
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