サニーサイドアップ
17.
 フードパックの焼きそばを片手に航は「そこ」と反対の手を掲げた。そこは、学生課のある中央館の階段口で、同じように何人かフードパックや白い紙皿をつついていた。最後のひとつだったミステリー研究会の焼きそばはやはり「秘伝の焼きそば」だったらしく、他のサークルの焼きそばやらたこ焼きやらにまだ余裕があるにも関わらず、ミス研だけが早々と店じまいをしようとしていた。
 『最後のいっこじゃん、間に合って良かったな。』とフードパックを差し出しながら航は尻ポケットから財布を出して、躊躇うことなく『割り箸二つつけて』と学生に言った。だから今航が手にしているフードパックに掛かった輪ゴムには二膳の割り箸が挟まっている。

 階段の三段目に腰を掛けて脚を投げ出した航は、座った位置からほんの少し腰をずらして弓音に座る場所を譲るようにした。幅の広い階段に座る場所がない訳ではないけれど、そんな仕草で弓音の場所を空けてくれる航に相変わらずだなと好ましい気持ちを抱いた。それだから弓音はごく自然に、航の隣に、近づきすぎないくらいの距離でその場所に座った。ハンドバッグを航とは反対の脇に置く。それから思い出したようにハンカチを出して膝に掛けた。中庭に面した階段は広々と気持ちが良かった。
 一膳を弓音に渡し、もう一膳の割り箸を歯で割った航が、早速焼きそばに手をつける。それからフードパックを差し出すようにして弓音に目配せをした。
 「んまい」
 と、航は言った。油に濡れた唇がもう一口焼きそばを啜った。弓音も横から箸を出す。
 「な?」
 航に同意を求められたけれど、「うん」と答えた弓音はその実あまりよく分からなかった。確かに美味しかったけれど、外で食べる屋台の焼きそばはいつも同じように美味しい。

 大学の校舎が影を作る中庭に、笑顔ばかりの人が集まる光景を弓音はぼんやりと見つめた。そこ、ここで、時折起きる歓声。笑い声。怒鳴るような声すらも楽しげに、校舎に柔らかく反響する。
 
 弓音の膝の上でポンと航の手が跳ねた。「焼きそば」とその手は言っていて、弓音はまた一口焼きそばを啜った。航を見ると、航も中庭を見ていた。右手に持った箸が空気を掴むように開いたり閉じたりしていた。そしてその時ヒューッと風が吹いて、フードバックの蓋をカシャリと鳴らした。航の前髪が揺れて額に煩そうに掛かった。でも航はそれを意に介さずに焼きそばを啜っていた。



 そんな細かいことを覚えている自分に半ば呆れて、弓音はため息をついた。「10年、か…」確認するように零れた独り言は思いのほかはっきりと大きく響いた。テレビの中で華奢な男が中指でぐいっと眼鏡のブリッジを押し上げて、車が去りゆくのを見つめている。それから、その男が振り向くと背の高い若い方の男はニコリと笑って、二人は肩を並べて街路樹の下を歩き出した。エンドロールが流れる。弓音はソファの上で体を仰向けて目を閉じた。腕で目を覆うようにすると淡いリビングの灯りはすっかり遮られて、真っ暗闇の中に落ちる。(10年…)と、弓音はもう一度数える。右足の薬指の痛みを思い出して、ほんの少し身じろいだ。

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