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第十九章
「え、今日発つのかい?」

 厨で朝餉の用意を手伝いがてら、女将に今までの礼を述べる貫七に、驚いたように女中たちが集まってくる。

「弁当って言うから、単に稲荷山に遊びに行くんだと思ってたよ」

「早く言ってくれれば、もっといろいろ用意しておいたのにさ」

 名残惜しそうに言う女中らに、貫七は笑って見せた。
 が、いつもの爽やかさが出ない。

「どうしたんだよ。身体の具合、良くないんじゃないかい?」

「そんな状態で出て行かなくても。もうしばらく、ここにいなよ」

 ここぞとばかりに、皆貫七を引き留める。

「いや、大丈夫だ。皆、世話んなったな。大した礼も出来ねぇで悪いけど」

「そんなことはいいんだけど……」

 女将が何となく察し、皆を仕事に戻す。
 そして、貫七に身を寄せて、こそりと言った。

「一刻も早く発たないといけないことでも起こったのかい」

「……ああ、すまねぇな。お上のご厄介になるようなことじゃねぇから、そこは安心してくんな」

「兄さんが、そんな人だとは思ってないよ。何か心配事だろ?」

 少し貫七は驚いた表情で女将を見た。
 貫七は己の顔を見ていないのでわからないが、一晩ですっかり憔悴してしまっているのだ。
 よほどの心配事が舞い込んだことは、明らかである。

「大事な奴が、危ないんだ」

 視線を落としたまま言った貫七に、女将はちょっと目を見張った。
 が、すぐに真剣な顔になって、ぎゅ、と貫七の手を握る。
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