【反省は】玉の輿なのにやらかした件。【していない。】


 それにしても、景久さんはコトに及ぶに当たって駆け落ちを提案するほどビビッていたくせにいざとなればノリノリだった私についてどう思っているのであろうか。
 世の中には例え合意であっても最初の数回は嫌がるふりをしてもらわないとダメだという、謎の理論を展開する男子もいるからな。景久さんがそんな気持ち悪い持論をもっている男だったら絶対に昨夜の私は嫁として不合格であろう。

 チラッと彼の表情をうかがうが、もとより生々しい感情を顔に出すような人ではないので何も読み取れなかった。
 が、軽蔑しているわよね、何だこの女ノリノリじゃねーかって思ってるわよね!私が自己嫌悪に陥るくらいだもの、景久さんはもっと引くわよね!


「ちょっとトイレに行ってきます……」

 私はこれ以上彼といるのは気まずいので、ちょっとその場を離れようと立ち上がった。

 その時、私は何かを感じた。
 それは、何かの動く気配のようなものだった。
 部屋の中が暗いのでしかとは分からないが、けれど、誰かがいる。几帳の後ろだろうか。


 私は動きを止め、景久さんを振り返った。

「美穂さん、どうしました」

 私は震えながら几帳の方を指差した。口を「だ、れ、か、い、る」と動かすと、景久さんの穏やかだった顔にさっと緊張が走った……ように見えたのだけれど、それはほんの一瞬のことで、次の瞬間には彼はまたいつもの穏やかな表情に戻っていた。


「美穂さん、いくらなんでも新婚夫婦の寝間に人なんて来ませんよ。誰かが窃盗などの目的で敷地に入ったとしても、この本殿よりもまず洋館に侵入するでしょう。本殿は建物自体に学術的な価値はあるかもしれませんが、いわゆる金目の物は置いてありません」

「い、いやでも確かに何かいた気配が、」

 私はこそこそと景久さんの傍に戻った。


「トイレはいいのですか」
「……」

 気まずいので気分を変えるためにちょっとトイレに行こうと思っただけだが、しかし不安を感じると余計にトイレに行きたくなる。
 私はしばらく膝をすりあわせて尿意をこらえていたが、だんだん我慢できなくなってきた。新婚初夜の布団を失禁で汚すことはどうしても避けたい。布団の始末をする人が失禁のあとを見て、昨夜何があったのかと変に勘繰りでもしたら……だめだ。私のこの家における奥様人生は完全終了だ。


 私はとうとう恥を忍んで景久さんに頼んだ。


「トイレ、ついてきてもらっていいですかね」



 本殿は昔からこの家で使われてきた建物を数十年ごとに新しくはするが、しかしこの家の人々は本殿に近代設備の整った快適なものにしようという気はないらしい。したがっていわゆる水洗トイレはない。小さなトイレ用の部屋の中に木製のおまるが据えられていたのを見たとき、私は涙目になった。

 トイレのドアを閉めるのは怖いし、かといっておまるに跨る新妻の姿を夫に見せるのも非常に苦しい決断である。


「絶対そこにいてくださいね!あと耳も塞いでいてくださいね!」


 トイレのドアを五センチほど開けたまま、私は叫んだ。

 私は朱雀様の巫女だが、しかし朱雀様は信じていない。あんなもの土産物屋のキーホルダーと大差ない。が、幽霊やお化けの類はなんとなくだが信じている。ああいうのはいるところにはいるのよ、見たことは無いし、いるとする科学的根拠もないけど!


「ちゃんとここにいますよ」

「聞こえてるんじゃないですかちゃんと耳を塞いでいてくださいってば!」

「……」

「ちゃんと聞いてるんですか、そこにいますよね?もうどっか行っちゃいました!?」

「聞いて欲しいのか聞いて欲しくないのかどちらなんですか」

「耳を塞いでそこにいてくれたらそれでいいんですよ!すぐですから!!」


 く、くそぉ……。一体なんなんだよこの状況は……。人を泊めるならトイレくらい用意するのは常識だろうが……!
 
 今時女子にこんなおまるで用を足させるなんてどうかしてるわ。そんなんだから嫁不足でいざってときに私みたいなのしか嫁に来なくなるのよ。私がこの屋敷の当主夫人におさまった暁には、権力を傘に着てこの家のトイレ事情を真っ先になんとかしてやるわ。伝統?そんなものは知らん!


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