ハリネズミに贈る歌
エピローグ
 高校を出て、東京の大学に進学した私は、あの人の影を追うように、軽音サークルに入ってアコギを習い始めた。記憶に残るあの人の歌声を真似して、あの人が奏でた弦の響きを再現しようと必死に練習した。
 そして、大学四年。周りでシューカツという言葉が飛び交うようになってから、私は歌い始めた。あの人がいたこの駅で。
 恩返し、なんて押し付けがましいことを言う気はない。でも、あの人に聞いてほしかった。あの人への想いをこめた私の歌を。
 「クリスマスイブに、私の入ってる軽音サークルがライブをやるんだ。良かったら、来て」
 東京に来てから、もう五度目の冬になる。私はあのときと同じく、ライブのチケットを手にクリスマスツリーの下に立っていた。 
 「まじで!? 絶対、行く!」
 私からチケットを受け取って、リクルートスーツを着た青年は目を爛々と輝かせた。
 彼は、佐久間、というらしい。半年前、彼から話しかけてきてくれたのがきっかけで、話すようになった。お互い大学生で、同じ年だと分かってからは意気投合。こうしてライブが終わってから立ち話をするのが習慣になっていた。
 「もう半年か」
 歌い終わって、ギターをケースにしまい始めたときだった。傍らで、佐久間がぼんやりとつぶやいた。
 「なにが?」
 「俺が工藤さんに初めて話しかけてから」
 見上げると、クリスマスツリーのイルミネーションが、彼の恥ずかしそうに笑う顔を色鮮やかに照らしていた。
 なるほど、もうそんなに経ったのか、と思った。
 初めて会ったときはライオンのたてがみのようだった猛々しい金髪は、今では就活生のお手本のような短い黒髪になっている。すっかり、彼のスーツ姿にも見慣れてしまった。
 そんな彼の変化を目の当たりにしていると、あの人ももうハリネズミのような髪ではなくなっているんだろうな、と思うことがある。きっと、街ですれ違っても、私はあの人に気づけないのだろう。たとえもし、ここであの人が私の歌に立ち止まってくれても……。
 私はゆっくりと立ち上がって、佐久間の隣に並んだ。彼の気配を肩で感じながら、目の前を流れていく人波を眺めた。
 ――たまに、思うことがある。もしかしたら、私の夢はとっくに叶っているのかもしれない、と。もう、あの人はここを通りがかって、私の歌を聞いていってくれたのかもしれない。ただ、私が気づけなかっただけで。 
 それでも、不思議と寂しい気持ちはなかった。それでいいんだ、と思っている自分がいた。諦め、とかじゃない。たぶん、私はずっとあの人に『初恋』していたいんだ。ハリネズミみたいな頭をした、あの人に……。
 「そういえば、工藤さんって東京の人じゃないんだね」
 しばらく間があってから、佐久間はふいにそう訊ねてきた。
 「そうだけど……」
 ちらりと横目で佐久間を見つめた。いつも人懐っこく目を合わせてくる彼には珍しく、私に顔を向けずに駅のほうを眺めていた。
 「なんで?」
 「喋りに独特の訛があるっつーか……イントネーションが変わってるから」
 「うそ、まだ訛ある?」思わず、ギクリとして口を押さえていた。「もう東京も長いし、訛も抜けたと思ってたのに」
 「まだばりばり訛ってるよ」そう言って彼は頬を赤らめて笑った。「すげーかわいい」
 「……」
 私はぽかんとしてから、思いっきり噴き出した。
 「なんで笑うんだよ!?」
 ようやく、彼は振り返った。真っ赤な顔は真剣で、照れているのか、怒っているのか、よく分からないくらいだった。
 「工藤さんと初めて話したときから、ずっと思ってたんだよ! なんかフランス人みたいな喋り方でかわいいなーって! 俺のツボにぐっと──」
 「も〜、めぐせぇはんで(はずかしいから)、やめでけじゃ(やめて)!」 
 自分でもなんでこんなに可笑しいのか分からなかった。でも、笑いが止まらなかった。笑うのに夢中で気が緩んだのか、つい、方言がこぼれていた。
 ハッとして、また口を押さえようとした私の手を、佐久間がそっとつかんだ。
 顔を上げると、佐久間と目が合った。彼は私の目をじっと見つめていた。半年前、初めて話しかけてきたときのような緊張した面持ちで。
 シトシトと雪が降り始めていた。冷え込んだ空気の中に、私たちの息が白く染まって消えていく。
 いつの間にか、笑いが鎮まっていた。代わりに、かあっと胸の奥が熱くなって、みぞおちが押し上げられるような息苦しさがした。一瞬にして、声が奪われる。懐かしい『発作』のような感覚。その正体を、もう私は知っている。
 
 「明日、良かったら一緒に過ごさないか?」

 それは、東京に来て五度目のクリスマスイブ。クリスマスソングがあふれる駅前で、佐久間は照れくさそうに笑ってそう言った。
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