ペットな彼女
ペットの幸運


とうとう明日が智明さんの出発日となってしまった。

今日はお店を休みにして貸し切りにしている。
皆で智明さんの送別会中だ。
うちのお店で修行を終え、旅立っていく板前さんには毎回行っている会である。

明日でもう会えなくなる。
勝手に会いに行くことはできるが、結婚相手がいるのに智明さんの実家にまで押しかける程、私もメンタルは強くない。

1週間前、智明さんの家に結局泊まっていった日からは2人で会うこともしていない。

あの夜をずっと忘れたくない。
忘れたくないのに、智明さんが私の体に残してくれた(キスマーク)はもう消えていた。

バイトで顔を合わせても、智明さんの顔を見るのが怖くて避けてしまっていたが、今日は最後だ。
後悔はしないように、笑顔でいようと決めている。

主役の智明さんは真ん中のテーブルに座っており、その向かいには料理長の父、女将の母が座って楽しそうに歓談していた。

私はと言うと、"バイト"という枠で出席していたのでホールスタッフメンバーと一緒に端の席に座っている。

皆、私の気持ちを知っているためか、日頃の愚痴や、今放送しているドラマの話をして気を紛らわせてくれようとしていた。

かなり心苦しいし、もうお別れも済ませているから大丈夫と伝えたが"無理しないでいいから"の一点張りだ。

正直に言うと、いつもであれば凄く美味しいはずの料理とお酒は全く味がしない。
自分が何を食べて、何を飲んでいるのかも分からないくらいだ。

もう、智明さんの試作品を食べて感想を言い合ったり、一緒に改良案を考える事も出来なくなる。

こんなに好きなのに。
もう一緒にはいられない。


皆の話に相槌を打って笑っていても、頭の中ではそんな事ばかりが浮かぶ。


そろそろこの送別会も終盤だ。
大きなケーキが智明さんのいるテーブルへと運ばれていた。
大きなチョコレートのプレートには、"12年間ありがとう"と書かれていたようだ。
智明さんが「こちらこそお世話になりました。」と両親に深々とお礼をしていた。

切り分けたケーキを皆で食べ、最後の挨拶の時間となった。


智明さんが席を立ち、皆の視線かそちらに向かう。
何やら仰々しく12年間の感謝の気持ちを述べているようだが、私はもう彼の声は聞こえない。
お別れの挨拶なんて聞きたくない。


やっぱりもう会えなくなんて私には無理だ。
ずっと一緒にいて、いつでも会える距離にいた事が、どれだけ大切な時間だったのか…

明日から私は"私"として過ごせるのだろうか。
何を目標に頑張ったら良いのか分からない。

智明さんも一緒にいる未来があったからこれまで頑張ってこれたのだ。
智明さんに彼女がいたって、奥さんができたって、構わなかった。

一緒にこのお店で働いていられるなら、近くにいられるならそれで良かった。


智明さんの挨拶が終わると、今度は父親が立ち、「今までありがとう」とハグをしていた。
そして、ハグをしながら父親は大きな声で言ったのだ。




「美晴の旦那として大分でも智明がこれから立派に成長する姿を俺は楽しみにしているからな!!」

「…………はい?」



智明さんから聞いた事もないようなとぼけた声が聞こえた。
流石の私も父親が何を言っているのか理解に苦しむ。
いくら私の恋をずっと応援してくれていたからと言っても妄想にも程があるのじゃなかろうか。
智明さんも父親の言葉に戸惑っている。
いや、私もかなり戸惑っている。

「…あの、晴久さん、言っている意味がよく…
俺は向こうで結婚する予定ですが、美晴ではない女性です。」

「いや、美晴は来年智明の実家の旅館に就職予定だ。俺が智明のお母様と相談した結果だから確実な情報だぞ。お母様から何も聞いてなかったのか?」

「…………。」



しばらく放心していた智明さんが、はっと我に返った後、私を見て探るように睨んできた。

「…美晴、分かってて黙ってたのか?……って訳でもなさそうだな。」

「…私も今聞いて驚いてる。これって本当に?お父さんの妄想じゃなくて?」

「当たり前だ!
な?皆ももう隠さずお祝いしてあげてくれ!」

『智明さん、美晴ちゃん、結婚おめでとう!』
という垂れ幕がバーンとオープンされた後、先程よりも更に豪華なケーキが出てきた。

智明さんと私は共に放心状態。

え?
私達の意思はどこへ?
というか、皆知ってたの?
どういう事?

頭の中は?でいっぱいだ。

皆からこっちこっちと連れられて智明さんの隣の席に座らせられた。

ホールスタッフのメンバーは安心したような表情で、
「演技するの大変だった。」
「美晴ちゃんが本気で落ち込んでるから教えてあげたかったけど口止めされてた。」
「最後はどんなギャグだよって開き直って私達も演技楽しんで悪ノリしちゃってたからごめんね。」
などなど暴露してきたが、私の決心や、落ち込んで悩んでいた時間を返して欲しい。


元々智明さんがうちでの修行をするようになってから何かと親同士で交流はあったようだ。
そして私が智明さんの事を大好きになって付きまとっていたことも智明さんのご両親もご存知だった。
そして気の早い父親は私が大学に無事に入学した事で、私が智明さんと働きたいが為に管理栄養士の資格を取る気満々だったことから、智明さんの両親に卒業した後はそちらで面倒を見てやって欲しい。それまでは旅館の女将までは行かないが、うちの女将(美晴の母)が出来る限りの事は仕込んでおくと話していたようだ。

それに対して智明さんの両親も「もちろん大歓迎」との事だったそうだ。
そんな馬鹿な……と耳を疑う。
うちの父親もかなり破天荒なタイプだが、智明さんのご両親もいかがなものかと思ってしまう。




そんなこんなで、最後の方は怒涛のように祝杯ムード満載のまま智明さんの送別会は終了した。
一生分の「おめでとう」を言われたんじゃないかと思うくらいだ。

皆でお店を片付けて、帰宅する。

私は智明さんと2人で帰宅した。












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