愛の答
白痛の出会い
『ん、な、マジかよ!?』
時計の針はすでにAM七時を指していた。慌てて跳ね起きた際、
昨夜飲み干したビールの空き缶が空しく倒れた。
当然気にもせず、駆け出すように下の階に降りていくと、深雪とお袋が呑気な顔をしながら朝飯を食べていた。
『何だよ!起こしてくれてもいいじゃんか!大遅刻だよ!』
俺は居間のテーブルの並べられていた細長いパンを齧りながら文句をたらし、大急ぎで身仕度を済ませる。ロンTの袖が途中で絡まり苛立つ。
深雪が飽きれた顔で、
『もう喉が枯れるくらい起こしました』と、俺に視線を合わせる事無く言う。
お袋はすでに俺を相手にしていない様子で、深雪との会話に夢中の様子。
『行ってくるから!』
玄関を飛び出し、車内に乗り込む。
暖気していない車はとても冷えた。悴む手でハンドルを掴み、シフトノブをPからDに入れる。
家の前の道路、車が来ていたのは見えていたが無理矢理入り込む。
プププ!と、クラクションが鳴り響いたが、ルームミラーを一瞥して、
器の小さい人間だな、と小さく零した。
会社までの道程を鬼の形相で飛ばした。

            
深雪と籍を入れてから一ヵ月が経とうとしていた。
二人で了解したのは、数年は俺の実家に住む、と言うこと。
正直なところ経済面でお互い苦しかった。
成人を迎えたばかりの俺。深雪は俺よりも一つ年上なので二十一歳。
二十代前半での結婚。多々困難は生じるものの、それ以上に幸せがあると
二人は感じていた。
当然子作りは当面先の話になるだろう。
お互い意識はしているが、経済面を考えた結果に至り、
更に深雪は口には出さないが、なるべく小野家への負担を掛けさせまいと考えている様子だった。
『生理がこない』
この言葉に敏感になっているのも事実だった。

『はい、遅刻ぅ。土曜日出勤決定な小野?』
『はぁ、はぁ、はぁ。ま、マジっすか?これだけ走ってきた努力は評価してくれないんすか?』
『走るのが嫌なら朝六時に起きればよし!以上っ!』
『はぁあ』
職場の上司に休日出勤令を下され一気に俺の体はだらけた。
高校を卒業してから勤め出した職場は、食品を主に扱う工場であり、
全身真っ白の作業着着用を義務付けられている。
専用のゲートを潜り、全身消毒をしてから見慣れた現場に立つ。
とは言え、実質この現場に立ってから二年弱。人生の半分以上を社会人と言う
括りに縛られるのならまだまだ幼子の様なものだという自覚はあった。
この現場に立って三十年の時が経過した人も居る。それに比べて・・・
それでも脳裏を過るのだ。
もし他の人生を歩んでいたら、と。
脳裏に過る思いは確かだった。しかし、二十歳を迎え、家族を持った今だからこそ、その思いを払拭させようとする己が居た。
心に潜む邪心を払拭させながら作業を行う。
自然と考え始めるのは・・・未来。
いつになったら、いつになったら・・・
いつになったら我が子。
いつになったらマイホーム。
六十になったら定年。
六十過ぎで大病。
『・・・』六十まで生きられればいいけど、とそんな事を考えながら仕事をしていた。
俺が所属する現場は職場全員が認める程の力仕事オンリーな職場であった。原料を巨大なフライパンの様な器具を使用して炒る。
炒り終えた原料を専用のタンクに移動させる。
簡素に説明するとそれのみの業務内容なのだが、とにかく力を必要とする。
腕、腰への負担は大。
治安国家に生まれながら、気分は戦国時代の農民だ。
『ん!?』力負けした己の腕力。
ザザザァ、と勢いよく原料が全て床に飛散した現実。
『あぁ....こりゃ昼飯も抜きだな..』
ふと外の景色に目をやる。早く原料を片付けなければ。
誰かに見つかればどやされるのは目に見えている。
しかし、外の景色を見る事で現実逃避。
雲がゆっくりと流れていくのが見えた。
一切音を立てずに、静かに雲は形成していた形を崩した。
己の理想郷に重ねていた。瞬時に首を振る。崩れた理想?
『・・・』それは愚劣な欲だ。
愛する人と共に生活を送れる今・・・これを崩れた理想と?
『馬鹿な』目の前の幸せさせも手放すつもりか?哀れだ。
そう自問自答する。
その気になれば、たった数年後の未来さえ見える。
父親になる。一家の大黒柱としての責任及び、社会人としての自覚。
原料を片付けようとした時、ガチャと扉が開いた。
『小野、もう昼過ぎてるぞ?飯・・・は、抜きな』
バタンと閉ざされた扉を三秒間凝視した後、
『何が社会人としての自覚だ!』ナッツの群衆を蹴り上げた。
『はぁあ・・・何やってんだろ俺』
頭をかきむしりながら散らばるナッツを見ていた。何も変わらない。
幸せの定義をいくら考えても、小野拓也という人間は何も変わらないような気がした。
外は二年前と同じ風景。会社からは、高校時代の友人の家が見えた。
今日は車が置いてある。今日は夜勤か?
ぐっすりと夜勤に備えて睡眠を取っている友人は、まさか車の有無を確認され尚且つ、己の勤務時間を推測されているとは夢にも思わないだろう。
彼もまた・・・自分と同じ思いをしているのだろうか?
拓也はその友人を今度飲みに誘おうと考えた。

『おぉ、小野、上がっていいぞ』
PM七時。農民に解放令が下される。
『うぃっす』言われなくても帰るっつうの、と言う心の声を封印しながら
我が車に乗り込む。エンジンがなかなか掛からない。
最近車の調子までおかしい。
『ただいま』
『おかえり。毎日毎日疲れた顔して、早死にするんじゃん?』
お袋の冗談も半分本気で捉えてしまう自分に自己嫌悪した。
『言われなくてもあと数年で逝くよ。あいつは?』
『今日は残業だってさ。二人して早死にされちゃ困るんだけどね』
『好きに言ってろ。あいつ帰ってきてから飯だろ?上にいるから』
『変に寝るなよ?起こすの大変なんだから』
『起きてるよ』上の階へ。
『・・・ふぅ』
深雪が小野家に来てから、俺の部屋は女部屋になった。
昔のROCK仕様は消滅していた。
赤に近いピンク色の座椅子に倒れこむように座った。
天井を見つめた。
何も変わらない。変わりたいけど、変われない。変わりたいけど、恐れて変われない。永遠のループを感じさせる自問自答に眩暈がした。
『これから未来、何をしていくよ?』
自分でも聞き取れないくらい小さな声で呟いた。
真っ白な天井に、黒い影。
『ん!何だよ・・・』
『はははっ!今、本気驚いてたでしょ?』
深雪が帰ってきたのだった。
『ノックくらいしろよな?』
『ドアが全開でした。それに、半分は私の部屋だし』
『何が半分だよ。まるっきりお前仕様じゃんか』
『そう?それより、ほら!ご飯だよ』
『うぃいっす』
夕飯を済ませ、俺(?)の部屋で二人で寛いでいた。
これはいつもの事だ。
深雪は風呂上がりで、髪を梳かしながらTVを見ている。
『ねぇ、ドラマ見させてよ』
『駄目。下の階で撮ってるじゃん?これおもしろいし』
深雪はこういう番組が好きだった。属に言う、大家族のドキュメンタリー番組だ。
結婚する前から、金曜、あるいは土曜の夜にこの番組がやっていると家に泊まりにきた。
しかし俺は仕事から帰ってきて、風呂なり飯なりで、
結局番組が終わる頃に部屋にくるのだった。
こうやって二人でまじまじと見るのはもしかしたら初めてかもしれない。
『拓はさ、子供何人欲しい?』
『その質問付き合ってから何回目だよ?』
『結婚してからは初めてじゃない?』
『ん・・・そうかもな。子供か・・・とりあえず二人じゃない?』
『最初は男の子?それとも女の子?』
『・・・何、ここで、深雪との子供ならどちらでも構わない、とか言ってほしいわけ?』
『きもい』
『・・・可愛くねぇ』
『可愛くなくて結構です!』
幸せの再確認をした。幸せ・・・それは間違いなかった。
過去を振り返り、深雪との出会いと結婚までの至り・・・
この上なく幸せ。
けれど・・・俺という人間はいつまでも変われず。
このような考えは修羅を呼ぶものなのだろうか?
これから降り掛かる二人にとっての人生選択論。
この時は知る由もなかった。
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