愛の答
威風たる完全犯罪
三方から迫ってきた魔の手。
正義の名を掲げる警察。
数十時間前まで同じ立場に居たとは思えぬ程、
酷く恐れた。同時に、憎悪の念も覚えたのも確かである。
捕えられる直前に、私は二階の窓から飛び降りた。
飛び降りている最中の事はよく覚えていない。
長いようにも感じたし、短いようにも感じた。
ビュオンと、宙を切り裂く音が私の鼓膜を通過した。
その間にも、確かに聞いた声・・・
何て言っているのかは聞き取れなかったが、
皆私の行動に驚いているのだろう。
本当に自分の子供を救う時の親ってのは、何するか分からない。
自分自身強くそう思った。
けれど、後悔はない。
寧ろ、まるでない。
ズザザ!地に擦れる音。
両足に衝撃が走った。
同時に、思わず両手を着き、身体ごと転がった。
全身に走る痛みを私はしっかりと捉えていた。
まるで、生きたままフライパンの上で焼かれるような痛み。
けれど・・・なぜかその痛みが気持ち良かった。
昔に戻れたような気がした。
私は昔から無茶ばかりしてた。
ふいに蘇る記憶は、小学生の頃の記憶。
階段の頂上から飛び降り、男女共に驚いていた皆の顔を見るのが爽快だった。確かに痛い。痛いけど、次の瞬間私の視界は動き出していた。
私の両足が、脳の伝達を通さないで勝手に走り出したかのように。
そこからの視界はどんどん突き進んでいった。
元同僚の子や、事務のおばちゃんを通り越して、あっという間に外に出た。
『降りて!早く!』
敷地内に停めてあった覆面パトカー。
中に乗っていた元部下を拳銃で脅した。
そして、私は颯爽と乗り込み敷地内を出ていった。
朝の時間帯で混んでいたが、車と車の間を強引に走り去った。
クラクションの嵐が国道に響き渡る。
とんでもない事を犯しているのに、私は心の中で、
覆面だから、警察への責任追及はされないだろうと、凡そ今の自分には
関係のない心配をしていた。
私の心臓は限界まで上下した。
目が合った。
よく存じている目・・・
ルームミラー映る私の顔は・・・酷く喜んでいた。

直ぐ様、車を乗り換える必要があった。
何故ならば、この覆面パトカーにはGPS機能という厄介な物が積載されて
いる為、至極当然居場所を特定されてしまうのだ。
当然、ナンバープレートから特定される可能性もある。
自車は自分の元勤務先。
何より、自分の車なんて使用したらそれこそすぐに御用となるのは
目に見えていた。
そこで、私は一定の方角に向けてハンドルを切った。
向かっているのは、知人の家。
彼女は昔からの縁で、休日になるとお茶をしている仲だった。
携帯を手に取り、彼女のメモリーを探した。
『いや、駄目だ・・・』
小さく呟いた。
携帯電話は迂闊に使えない事に気付いた。
私の番号は署内事務所に登録されている。
特定の番号から発信した電波は、居場所を特定する要因になり得る。
本当、本当に日本の警察は凄い。
改めて思った。
Perfect Crime(完全犯罪)を成し遂げた人間を尊敬した。
どうすれば逃げ切れるのか?
車や、携帯電話という当たり前の物を使えない現実。
『・・・時間がない』
私は直接彼女の家を訪ねた。
『はい』
インターフォンから聞こえてきた、聞き覚えのある声。
一瞬、涙が出そうになった。
何て、恐怖。
何て、孤独。
誰かの助けを求めなければ生きていけない。
これは絶対だ。そう、思った。
『佳菜子?あの、私だけど・・・島津』
語尾が歯切れ悪く途切れそうになった。
『え!?』
分かりやすいリアクションがインターフォンから聞こえてきた。
『待ってて、今出るから!』
ガチャと独特な音を鳴らしながらインターフォンが切れた。
その瞬間、再び孤独感が私を襲った。
佳菜子・・・早く私をここから救って!
途方のない救いの声。
私は今、救われなければ立ってさえいられない。
佳菜子がインターフォンを切り、外に出てくるまでの十秒ちょっとが、
大袈裟な話永遠的に感じられた。
『島ちゃん!?』
玄関から出てきた佳菜子の顔を見て、ようやく私は救われた。
同時に、少量の涙が目に溜まった。
『佳菜子・・・』
『島ちゃん、どうしたの!?』
疲弊し切り涙を浮かべる私に対し、幼なじみである佳菜子は
私を心配する事で頭が一杯のようだった。
『ごめんね。ごめんね・・・佳菜子』
『謝ってるだけじゃ分からないよ?何があったの?』
私が犯した罪は、まだ世間には知られていなかった。
いや、このまま隠蔽するのかもしれない。
故に、佳奈子も私が罪人である事を知らない。
『佳奈子・・・私、犯罪を犯したの』
『・・・え?』
目の前の友人は現役の警察官。
そんな友人から発せられた一言を、一瞬理解が出来ないでいる友人が私の前に居た。
『・・・犯罪を?』
『うん・・・』
『・・・私は、どうすればいい?』
『・・・え?』
何時(いつ)・・・罪名・・・動機・・・
私に対する質問が山ほどあるはずの佳奈子から発せられた言葉に戸惑った。
『私が島ちゃんを助ける為には、どうすればいいの!?』
『・・・今ね・・・その』
全く予想していなかった展開に言葉が上手く出てこない。
『今、追われている身なの。それでさ、佳菜子にお願いがあって。
何も言わず引き受けてほしいんだ』
『何?私に出来る事なら言って!』
救いの手が温か過ぎて、私は逆に辛くなった。
どうして?
どうして人の為に何も言わず、願いを引き受けられるのだろう?
逆の立場だったらどうだろう?
佳菜子が私の立場だったら・・・
私が佳菜子の立場だったら・・・
私はきっと逃亡を阻止したと思う。
それが正しいとかなんとか言って・・・
私は偽善に満ちた言葉を掛けると思う。
しかし、目の前の友人は違った。
己の手をいかに黒く染めようと、友を思う強き心を持っていた。
『佳菜子、本当にありがとう。
私が言う無茶なお願いを引き受けられなくても、
私は貴方に感謝の気持ちで一杯よ』
『何言ってるのよ?マジ、水臭いって』
友の笑顔が眩し過ぎて、再び目蓋に雫が溜まり始めた。
『あの、私の今の願いはただ一つなの。あの子をこの腕で抱き締めたい』
『え?あの子って・・・』
『最愛の娘を最後に一度だけでいいから抱きしめたい。
私が犯した罪を洗い流す為じゃなく、純粋にあの子の母親として』
『・・・それで?』
『単刀直入に言うと、今あの子は私の元に居ない。
それどころか、行方が分からない状態なの。今すぐ見つける必要性がある。
つまり、移動手段として佳菜子の車を貸して欲しいの。無茶は承知』
『それだけ?』
『え?・・・うん』
『何だよ島ちゃん!本当に水臭いよ!そのくらいの事なら何も言わず力貸すって!それより急がないと!まだ、三歳位だったよね?一刻を争うよ!』
持つべき物は友なんてベタな言葉が、今はただひたすらありがたく感じた。
『ほら、これ!』
私の手に握らされた金属製の物体。
『車は庭に停まってるから!』
金属製の物体が車の鍵だと分かり、また涙が出そうになって・・・。
『島ちゃん?』
佳菜子が私の顔を覗いてきた。
私は思わず佳菜子に抱き付いた。
私は犯罪者なのに、こんなに温かい温もりを貰えるなんて。
『ありがとう。本当にありがとう佳菜子』
『もう、何年の仲だと思ってるの?』
『そうだね』
ふと、鍵に付いていたキーホルダーが目に入った。
『まだ、これ使ってくれてたんだ』
そのキーホルダーは私から佳菜子へ贈った物だった。
もう、かれこれ十年近くも前の物だった。
『キーホルダーを貰った時期に、島ちゃんが将来警察官になるなんて
言いだすからさ。一応、形見になるかなってね』
『冗談言わないで。私は、佳菜子が思ってる程出来た人間じゃないんだよ。
現に、今も我が子を見失っている』
『だから!』
佳菜子は私の体を引き離した。
『早く探しに行きなって!』
私は悩んだ。
この世には言葉というものが少なすぎる。
【ありがとう】
今の、私から佳菜子に対する感謝の言葉。
ありがとう以上の表現をしたいのに、言葉がないのだ。
『佳菜子、本当にありがとう、ありがとうね』

誓う言葉もない。
流す涙も止まる事を知らない。
響き合う声を今、広げる。
罪を背負いながら生きる、十二月十八日。
AM九時過ぎ。
『すぐに抱き締めてあげなよ!?』
私は頷いた。
手の届かない漆黒の闇。
そこで泣き続ける我が子。
もう迷わない。
私は私を通すだけ。
もう、後悔はしたくないから。
千の痛みと共に生きる事になっても構わない。
ただ、ひたすら我が子を抱き締めたかった。
私の位置を捉える機能を捨て去り、親友から受け継いだ優しさに乗り込む。
キーを回し、サイドブレーキを解除。
ギアをPからDに。
ふと、ルームミラーを見た。
佳菜子が玄関先から私を見送ってくれていた。
全てを洗い流してくれそうな温かい笑顔が、最後の最後まで見守ってくれていた。
私は、力強くアクセルを踏んだ。
待っていて・・・
今、迎えに行くね。
必ずあなたを見付け出し、この両腕で抱き締めるんだ。
脆弱し切った貴方のか細い体を、本当の母親である私が抱き締めるんだ。
ひどく当然の事なのに、今までしてやれなかった事。
貴方は悪くない。
純粋に生きただけ。
私がそれを殺しただけ。
罪深き母親が、今迎えに行くね。

後に知る事だが、その日、旅館経営者である私の旦那がTVに映った。
原因は私だった。
私の育児放棄は、予想通り警察側が事実を塗り潰した。
その為世間に出る事はなかった。
しかし、私の脱走により警察側は打つ手を失った。
一気にマスコミは報道した。
育児放棄をした母親、前職は警察官。入所目前に脱走。事実を隠蔽した警察。
父親は旅館経営者・・・。
くだらない。
どうでもいい。
そんな事よりあの子・・・
我が子・・・
【愛】を見つけ出す・・・。
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