【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
丹波亀山城
 丹波亀山城は明智光秀が城主を
していた時、ここから信長のいる
本能寺に向かい事件が起きた。今
この城に八歳の秀俊が城主となっ
て入った。信長が転生した子にさ
れた秀俊にとって皮肉なめぐりあ
わせだった。しかし秀吉は嫡男、
鶴松丸が生まれたからといって秀
俊を見捨てたわけではなかった。
いずれ鶴松丸の家臣として仕えさ
せようと考えていたのだ。そのた
め、あの生活態度のあり方を説い
ては帰っていた山口宗永が正式に
秀俊の補佐役となった。
 信長に教育係として頑固な老
臣、平手政秀がいたように、宗永
も秀俊を秀吉の養子とは思わずわ
が子以上に厳しくしつけた。
 秀俊にはさらに日蓮宗、大光山
本国寺の日求上人が法華経を教
え、御陽成天皇も師事された准三
宮道澄が和歌を教えるなど最高の
教育を受けることができた。
 城も改修がおこなわれこの規模
の城では破格の五層天守閣となっ
た。
 天守閣の最上部からは京の町並
みも見えるほど聚楽第とはそう遠
くない場所にあった。

 鶴松丸は生後三ヶ月になると淀
と一緒に大坂城に移った。これは
「淀城では育てるのに心細い」と
言う淀の希望だった。大坂城は以
前から慣れ親しみ、ねねにも頼る
ことがでる。それに秀吉とも会い
やすいからだった。
 秀吉はわが子ができて初めて妻
子が心のよりどころだということ
を知った。そこで一万石以上の諸
大名の妻子を京に住まわせること
にした。これで諸大名を服従さ
せ、将来、鶴松丸の家臣となる子
の育成もできると考えた。
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