【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
小早川秀秋
 秀俊の処遇にめどがついた秀吉
は京、伏見の家康邸にたびたび入
り浸るようになり、体力の衰えを
嘆いた。すると以前、捨丸に利休
の呪い除けを託宣した天海が陰陽
道には延命の術があると打ち明け
た。
 秀吉はすぐに全国から陰陽師を
集めさせ延命の術を施術させた。
これで利休の死んだ七十歳を超え
られると秀吉は喜び、それだけで
気力が回復していく気がした。こ
のことでさらに家康との信頼関係
が深まった。
 同じ頃、秀俊は隆景の本拠地、
備後、三原城に旅立った。お供に
は補佐役の山口宗永と新しく豊臣
家から迎えた稲葉正成がいた。
 正成は二十四歳と若かったが石
田三成に引けをとらない才能があ
り、武勇では三成より上だった。
だから将来は捨丸の補佐役として
出世することを望んでいたが、秀
俊に仕えることになり暗く沈んで
いた。
(なぜわしがこんな目に……。厄
介払いされた養子など、小早川家
でも邪魔者扱いされるのがおち
だ。早く新しい出世の道を見つけ
なければ)
 そう思うと余計に気が重かっ
た。しかし、十一月十三日に秀俊
一行が三原城に到着すると毛利
家、小早川家から大勢の出迎えが
待っていて正成の予想に反して大
歓迎を受けた。
 すぐに秀俊と隆景との養子縁組
の儀が執り行われ、豊臣秀俊改め
小早川秀秋となった。そして連
日、秀秋の大好きな鷹狩りや舟遊
びを楽しみ、夜には近隣の諸大名
など三千人余りが祝いに集まっ
て、座興の能楽では輝元が小鼓を
叩き、秀秋が舞うという大宴会が
催された。
 三日後には秀秋の花嫁となる古
満姫の一行、二千人が到着し、三
原の城下町をあげての盛大な婚儀
となった。
 秀秋と古満姫は共に十三歳で、
幼い夫婦に町内が和やんだ雰囲気
に包まれた。こうして秀秋は十一
日間を過ごした。この盛大な歓待
は毛利一族の意地だったのかもし
れない。
 最後の日、隆景はいずれ近いう
ちに所領の筑前、筑後、肥後を秀
秋に譲るという約束をした。
 秀秋は古満姫と共に来た時より
も大勢の人々に見送られて三原城
を後にした。
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