【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
島津義弘
 家康はこの大量の武器の扱いを
任せる者をすぐに決めた。朝鮮に
渡り明の大砲のことを知っていて
近くにいる信頼できる者といえば
大谷吉継しか思い当たらなかった
からだ。そこで吉継を呼び寄せ
た。
 吉継は目が見えないからそのよ
うな大事な仕事は手に負えないと
断ったが、家康から強く命じられ
やむなく引き受けた。

 吉継の計画的は作業手順によっ
てリーフデ号から大量の武器が短
期間で陸揚げされた。その後は家
康の家臣が武器の数や状態を調べ
た。そしてたまに分からないこと
があると吉継に聞いた。いつも吉
継の側にいる湯浅五郎が目の代わ
りとなって補足説明を加えること
もあった。
 吉継はそれらを聞いて頭に思い
描き答えた。
「それは爆発の危険があるから積
み上げず、少し離して置くよう
に。それは火箭という物で中に火
薬が入っているから取り出して大
砲の火薬として使うように。それ
は……」
 こうして武器はいつでも使える
状態に整えられていった。
 家康は当時、最強の武器である
大砲という大きな力を得て攻勢に
でようとしていた。

 時をさかのぼって慶長四年(一
五九九年)一月
 家康は正月もそこそこに京、伏
見にある島津義弘の屋敷を訪ね
た。そして朝鮮出兵での数々の武
勲を褒め称えた。
 家康のもとには島津一族が明の
大砲を多数、持ち帰ったという噂
が入っていた。加藤清正によれ
ば、急な帰国命令で大砲を持ち帰
る暇などなかったと言っていた
が、帰国の手配をしたのが石田三
成だけに安心はできなかった。そ
こで憂いを断つために義弘とよし
みを結ぼうとしていたのだ。
 義弘は朝鮮で多くの犠牲を払っ
て武勲をあげたにもかかわらず秀
吉が死去したことでなんの見返り
もなく、所領が疲弊しただけに終
わった。てっきり秀頼の後見人で
ある家康から見返りを貰えるもの
と期待していた。しかし家康は刀
を恩賞として差し出しただけで、
なにかといえば明の大砲のことを
聞きたがる。いっこうに疲弊した
所領の復興を支援しようとはしな
かった。
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