その唇に魔法をかけて、
第九章 届かない想い
 見事に玉砕してしまったあの花火大会の翌日から、美貴は雑念に囚われる隙を作るまいとひたすら仕事に没頭していた。

「深川さん。こっち、お客様のお荷物手伝えるー?」

「はい! 今行きます!」

 今しがた黎明館に到着した宿泊客の大荷物をむんずと両手で抱え、華奢な身体で踏ん張る。

 まだ未熟な部分はあるものの、黎明館へ来た当初に比べるとその仕事ぶりは、仲居頭のかえでにも一目置かれるくらい劇的に変わった。社会人として頼りないと皆から思われていたが、今では立派な大人として成長していた。そして女性としても。


「それで? あの子があんなに空元気なのは……あなたのせいね?」

 そんな美貴の様子を遠目で見ていたかえでが目を細めて花城に問いかけた。

「何があったか知らないけど、響ちゃんが女を泣かせる男だったなんてがっかりだわ」

 かえでにまったく反論することもできず、花城は口をへの字にして結んでいる。

 花火大会でようやく恋が実って可愛く頬を赤らめる美貴をちょっとからかってやろう、と冗談まで考えていたかえでだったが、そこでまさかの展開が起きた。一晩中泣きはらしたような目元をメイクで誤魔化し、掠れた声で「おはようございます」と挨拶をする美貴を見て、何があったのかと、かえでは花城のところへ猛突進し問い詰めた。

「まったく、あんなに瞼腫らしちゃって……」

 バツが悪そうに花城がかえでの視線から逃れると、かえでがくすりと笑った。

「もしかして、また響ちゃんの悪い癖が本当の自分の気持ちを邪魔してるんじゃないの?」

「……親父に呼ばれてるから、もう行く。あいつのことは後でフォローしておく」

 居た堪れなくなったのか、花城がそそくさとその場から去る。そんな背中を見送って、かえでは忙しなく仕事をしている美貴に近づいた。
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