君にアイスを買ってあげるよ
セクハラ発言を聞きました

さわさわと人の話し声がする。少し遠くて内容まで聞き取れないそれは、一人じゃないと知れて安心するものだった。

あくびを噛み殺しながら、買ったばかりの飲み物を自販機から取り出す。

新しい銘柄のそれは最近のお気に入りで、歩きながらゆるゆるとキャップを緩める。ぷしゅん、と僅かな音とともに空気が抜けていく。

その音とともに、自分の中に詰まっていた何かも程よく抜けて、波立っていた気持ちがフラットになった。
高低差を埋めて均一にならすのでなく、尖っていた部分だけすっと掬い取られたように鮮やかに変わっていくのがわかった。

程よい緊張と弛緩が入れ替わり、小さく息をついた。少しだけ遠い自販機に来ることで緊張が緩んだんだろう。



自販機のある階から自分のいる階へと戻ると、森田さんが女子部メンバーに囲まれていた。

森田さん自体が人と分け隔てなく付き合うからか、老若男女問わずに話すことが多かったので、気にせず通り過ぎようとしていた。

ただ、通り過ぎる際に森田さんの声が耳を打った。



「抱かせてなんぼだろ」



体が森田さんに向く程振り返ると、森田さんは平然としている。まわりの女子部もセクハラ発言に平然と「だよね~」「そうそう」なんて相槌を打っている。

自分だけ話が見えなくて、妙にドキドキする。うわ、なんか凄いこと聞いてしまった。森田さんに体を向けて固まってしまったけれど、ロボットみたいにぎこちなく退散しようとした。

だけど、それを見逃す森田さんではなかった。


「橋田、顔が赤いぞ」


にやっとした森田さんの目は、いたぶる獲物を見つけた獣の目だ。

「いいえ。何でもありません」


ここで森田さんの女性経験とか披露されても困るので、こちらとしては逃げの一手しかない。

「なに、なんかイヤラシイことでも考えたんだろ」

「森田さんじゃありませんから」


慌てて頭を振ると、すっと森田さんの目が細くなる。


「隠すほうがイヤラシイだろうが」


「程度によります」

ふん、と鼻から息が抜ける。馬鹿にしたように取れる行為だが、森田さんは自覚していない上に、指摘するとむきになって反論する。


「世間話並の会話だ。聞かれたところで、なんら問題ない」


世間、並?

言葉を疑う。世間の方々はそんないかがわしい会話を普通にしているのか。男だけならまだしも、女性がいるのに、お酒の席でもないのに、まだアフターファイブですらないのに!



「……信じられない」

「何が?橋田んとこの猫は抱かせてくれないわけ?」



ガバッと顔を上げる。目が合うとにやっと森田さんが笑った。

だ、騙された……!!


かあっと顔に熱が集まって熱くなっていく。


「猫もさー抱っこを嫌がるのがいるだろ、こうしっぽをぶんぶんしたりして体を捻って逃げ出すのが。爪たてたりとか、噛んだりするから嫌がられるんだよな」


はあっとため息。


「なあ橋田、知り合いんとこ子猫生まれたんだけどいらない?今から躾たらいい抱き猫になると思うんだけど」


「……いえ、一匹で十分間に合ってます」


「うーん…参ったな…」

そんなことを言いながら、考えるそぶりをする。そんな姿がまた渋くてカッコイイと噂になるのだ。

現に、開いているドアの前を通る女性は、一瞬森田さんにくぎ付けになる。

アタマの中には、子猫の柄が渦巻いて、みーみー鳴いているなんて知らないで。



本当、イケメンは得だ。
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