ヒーローに恋をして
 負けたくない。

 桃子の表情を見てなにを感じたのか、胸の下でボールを抱えたコウがふっと口の端を上げる。余裕ありげな表情を崩してやりたくて、片腕を伸ばす。ぐっとコウに近づくと、肩の真横に頬が寄る。

 桃子を振り切るように、屈んだコウがボールを足元で交差しながら突く。カットさせる隙を与えずにそのままドライブ、ゴール斜め下からのワンハンドシュート。

 すかさず桃子は片手を伸ばす。直後にジャンプして、空中でボールを叩き落とす。コウが目を見張る。ニヤッと笑い返してやった。
 歓びも束の間、ボールをあっという間に奪われる。切り返しが速くて追いつけない。ボールが床を突く音、走る音が体育館に響く。  

 大地を走る草食動物のように、走るコウの後ろ姿はきれいだった。モデルをしてるときのコウがふっと浮かび上がる。
 黙って立ってるときも躍動してるときもきれいだなんて、なんだかずるい。

 ゴール下からのジャンプシュート。手首がわずかにしなって、さりげないそのアクションが、ボールに美しい放物線を描かせる。
 ネットに吸い込まれていくボールを見ながら、はぁ、と息が上がる。

 彼は、いつのまにこんなにバスケがうまくなったんだろう。

 コウが振り返って笑う。無邪気に、魅力的に。
 桃子にむかって走ってくる。嬉しそうに笑ったままで。その様子をぼうっと見ていた。

 それに――いつのまにこんなに、かっこよくなったんだろう。

 ももちゃんは、子どもの頃の俺にしか興味ないのかと思った

 コウの言葉を思い出す。
 そんなことないよ、と苦笑した。
 
 本当はずっと聞きたいことがある。
 今まで気にしないようにしていたのは――やっぱり少し、こわかったのかもしれない。
 
 コウが両手をのばす。走ってきた勢いのままに、すっぽり抱きしめられていた。チームメイトにするような、いやらしさのない健全な抱擁。だから気持ちがほぐれて、問いはするりと口から零れた。

「どうして、また私の前に現れたの?」

 見上げれば、コウが驚いたように目を見張っている。額に汗が滲んでいて、そうか、コウも真剣にプレイしたんだと思ったらなんだか嬉しくて、その気もちのまま笑みが浮かんだ。そうだ、負けちゃったけど一度はカットできたんだ。だから一矢報いたって言っていい――。

 思考は突然途切れた。額に前髪があたる。自分のではない感触。
 目を見開いたまま固まった。

 唇に、コウの唇が重なっていた。
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