ヒーローに恋をして
「カット!」

 城之内の声が室内に響く。
 桃子は夢から醒めた直後のようにぼんやりと、その声を聞いていた。まだ手はコウの背中を掴んでいる。

「桃子」
 間近で囁かれて、視線だけを動かしてコウを見た。コウが笑っている。とても満足げに。

「おつかれさま」
 
 そう聞いた途端、涙がつぅ、と頬を流れた。
 
「チェックオーケー!」
 城之内がモニターを見て手を叩きながら立ち上がる。
「ナオト役コウ、ユキ役トウコ、オールアップです!」
 途端、周りを囲むスタッフから歓声が上がる。みんなが笑って手を叩く。
 桃子はコウと目を見交わした。

「ありがとうございました」
 二人同時に頭を下げる。一層大きな拍手が二人を包んだ。

 終わった。
 終わったんだ。

 ユキを、演じきったんだ。

 城之内と林が花束を持ってこちらに来る。ピンク色をベースに作られた花束は、桃子の顔よりも大きい。

「トウコちゃん、お疲れ」
 林はそう言うと花束を差し出した。頭を下げながら、見た目よりも重みのある花束を受け取る。
「途中いろいろキツイこと言ったけど、今はユキがトウコちゃんでよかったと思ってるよ」
 林の言葉に顔を上げる。林は少し照れたように頭の後ろに手をあてて、
「ピー(プロデューサー)としてね、譲れないこともあるんだけど、でも、うん」
 林は言葉を探るように目をそらしながら、小さく笑った。力みのない、緩やかな笑みだった。
「君は良い役者だ」

 言葉に目を見開いた。驚きと嬉しさがどっと押し寄せて、固まる桃子の腕を城之内がポンと叩く。撮影が進むにつれどんどん伸びていった城之内の髭は顔中を覆っていて、今や仙人のようになっている。
 髭に囲まれた顔で、城之内が笑った。
「また一緒に仕事をしよう。今度は十二年も空けないでな」
 
 桃子はおもわず隣にいるコウを振り返った。コウは黙って笑みを浮かべている。
 拍手はまだ続いている。桃子はスタッフの顔に視線を巡らせた。

 撮影の間に仲良くなったメイクスタッフやスタイリストが笑っている。少し奥の方で、一足早くオールアップを終えたマリコが腕を組んで立っている。目が合うと、マリコは小さく頷いた。

 城之内は技術スタッフを集めて、早速編集作業に向けて打ち合わせを始めた。映画作りは、まだ終わってない。バスケでいうなら、今ようやくすべてのプレイヤーが出そろったところ。どうやって試合を運ぶか、彼らが決めていく。
 終わったと思ってもまだまだで、解散してはもう一度新しく出会いなおす。次の現場で。
 これが映画作りの世界。
 そんな中に、いる。桃子もコウも。

 隣に立つコウを、そっと見上げた。コウが着ている衣装はスーツで、もうナオトの着ていたジャージを見ることはない。ああ終わりなんだ、と思い知って、胸がすっと切なくなる。
 だけど、城之内は言ってくれたから。また一緒に仕事をしよう、と。

 代役が決まったあの日、桃子を見るスタッフたちの視線が恐かった。自信なんて全然なかった。
 それでも今は胸を張って言える。

 私はこの仕事が好きだ。
 これからもこうやって、役者として生きていきたい。
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