鬼に眼鏡
 雅夫の名字は猪狩だ。『宮本』という男を雅夫は知らないし、似ている知人もいない。
 ましてや、暴力団関係に間違われるなんて心外である。かといって答えを間違えば、妙な雰囲気になるのは確実。
 雅夫は慎重に言葉を選んだ。その答えは――
「……連れがいるから、少し黙っててくれないか? 立場上まずいから」
 男たちの関係者を装い、尚且つ会話を制限させるというものだった。
 静まり返った車内なので、男たちを制する声は他の乗客にも聞こえているだろう。
 それを証拠に視線が集中しているのが、雅夫にははっきりとわかった。
 玲奈は恐怖で震え、計画を実行している雅夫もばれたらどうなるかと気が気ではない。
「……宮本さんって?」
「馬鹿! しつれいだろ! 伝説の人だぞ! 滞ってた取り立て五件に決着つけて、一日で一千万収入を得たっていう……」
 ――一日で一千万の収入っ!? 時給にして幾ら!?
 宮本という人物の武勇伝に、本人を装いつつも雅夫は驚いて動揺してしまう。
「俺が滞らせてた件も、この宮本さんに締めてもらったんだよ。いつ戻られたんですか?」
 男たちの話は終わりそうもなかった。長い間話し続けていたらじきにボロが出る。
 雅夫がそう考えていた時、丁度、目的の駅に到着して電車が停車した。
「じゃあ、行くから……」
 玲奈の手を引いて雅夫は、逃げ出すように電車を降りた。
 閉じた扉越しで手を振る男たちを、二人で黙って見送る。
「ねえ、今の人って、雅夫が知ってる人?」
 電車が見えなくなって、改札口に向かう階段をあがりはじめると、玲奈が震えて訊いてきた。
「知ってるわけないだろ……そういうふりしただけ」
 緊張が解けたと同時に、雅夫は冷や汗をかき、重い息を吐いた。
 もし、あの時「人違いです」と正直に言えば、どうなっていただろう。男たちは執拗に、玲奈に声をかけ続けたのではないだろうか。挙句の果てには暴力に発展したかもしれない。
 更に雅夫は思う。
 男たちが自分と間違えていた人物は、中学時代に警察官が間違えた暴力団組員ではないだろうかと。何人もの人が見間違えているのだから、相当似ているのだろう。
 見てみたいと思うのが半分、怖いと思うのが半分の複雑な心境になる。
「はー。親父に似たばっかりに……母さん似の兄貴が羨ましい」
 思わず雅夫は一人ごちる。
 二歳年上の兄は大学の医学部で頭が良く、顔も男前と言っていい。本当に同じ遺伝子で生み出されたのだろうか。神様がとんでもない悪戯でもしたのではなかろうか。
 そう疑うほどの天地もの差がある。月とすっぽんという比喩表現が、これほどぴったりなものはないと断言できるほどに。
 どういう遺伝子配合で自分たちが創造されたのかも疑問だが、雅夫が思うもう一つの謎がある。何故、あの父とあの美人な母が付き合い、そして結婚したのかという経緯だ。
「何で結婚したの?」と訊いても父は全く教えてくれないし、母に訊けば、これでもかという可憐な笑みで済ますだけ。結婚すると決まった時には、周囲に相当の衝撃が走ったのだろうと容易に想像がつく。
 その時、
「雅夫! 着いたよ! ここ、ここ!」
 玲奈が足をとめて、雅夫に声を掛けてきた。
 雅夫が考え事をしている間に目的地に到着したようで、玲奈は一軒の店舗を指差していた。
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