鬼に眼鏡
「その顔で営業、接客業の選択は無理があるだろ……事務か現場が普通じゃね?」
 雅夫の予想通りの言葉を、兄は気を遣う様子もなく口にした。
「それ、弟に言う言葉か?」
「お前のスマイルはプラス二百円でももらいたくないって」
「二百円って、微妙だろ!」
「山姥の笑顔って、食われるって思うじゃん。あれとおな――
「言うなぁぁぁ!」
 じなんだよ。お前の顔……」
 言葉が終わらないうちに、雅夫は大きな声で話を遮るが、兄は器用に雅夫の叫びをかわして、話を続ける。
「聞きたくない……ほんと、お願いします」
 涙声で雅夫は兄に懇願するしかなかった。
「真面目に言ってやってん……クチャ……だよ。お前の将来……クチャ……を心配して」
「物食いながら言うな! 飲みこめ! 砂肝も冷たい感情も!」
 手元に焼き鳥パックを持ちながら、ジャージ姿で語る美形医学生というビジュアルは他からどう見えるのだろうかと思いながら、雅夫は叫ぶ。
「あっ、お前の部屋行って、履歴書見たんだけど」
 悪びれる様子もなく言う兄に、雅夫は身を乗り出した。
「言葉の暴行罪の次は不法侵入ですか! 何してんの!?」
「何あれ? 眼鏡の注文書って?」
 兄に弱みを握られたのを知って、雅夫は溜め息を吐く。
「玲奈に無理やり連れてかれて、俺も成り行き上、買うことに決めたんだよ」
「ふーん……玲奈ちゃんがね」
 言って兄、今度は鳥皮を頬張る。雅夫も拝借しようと手を伸ばすが、掌を思い切りはたかれた。
「働かざる者食うべからずって言うだろ。自分の給料で買え」
「働きたくても働けない状況なのですが……」
 兄の指摘に雅夫は冷静に答える。それに兄が呆れたような表情を浮かべた。
「最近の若い者は……仕事を選び過ぎて……だから年金が」
「あんた何歳!? 二つしか違わないんだけど!」
 雅夫はとめようもない兄の暴走に、つい付き合ってしまう。
「ともかく、俺のことはほっといてくんない? 就職活動に集中したいから」
 頭を掻いた兄はその場で背伸びをすると、雅夫に踵を返して自室のドアに手を掛ける。
 しかし、兄はすぐに振り返った。
「まっ、玲奈ちゃんの案とはいえ、発想はいいと思うよ。親父と母さんの出会いの切っ掛けもそうだったって聞いたし」
「! ちょっ、待て待て!」
 雅夫は思わず呼びとめた。いきなり引き留められた兄は、怪訝そうな顔をする。
「とめても、ねぎまはやらないぞ。好きな物は最後に食べるんだから」
「ねぎまが食いたくてとめてないっ! つーか、親父と母さんの出会いの切っ掛けって?」
「あれ? 聞いたことなかったのか? そうか、俺が爆笑したから……」
「笑う話なのか、それ!? いいから教えてくれよ」
「タダで?」
 言われて雅夫は仕方なく小銭を出した。
「これだけ?」というような顔で兄は見たが、雅夫は持ち前の『プラス二百円でももらいたくないスマイル』で答える。
「仕方ないなー」
 兄は渋々語りはじめた。それは二十五年前の話であった。
< 14 / 22 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop