付喪がいた日
3.お前も友達だ
 時を刻んでいる柱時計が、胃に響く重低音を数回ならした。
 不意に吹いた風が、畳のイグサの香りと風鈴の音を運んでくる。
 それは命を持たない無機質のモノたちが、その場にいると主張しているように思えた。
 まるで、祖母の話を待ち望んでいたかのように――
「その番傘はね。おじいさんのおじいさんが使っていたものなんだよ。形見分けをしたのは、おじいさんが六歳の時らしくてね。何故か惹かれたらしいんだ。無理を言って、お願いして持ち帰ってきたと教えてくれたよ。そうさね……もう使われはじめて百年以上は経つのかな」
「百年って……凄い骨董品じゃないか。値打ちはなさそうだけど」
 俺は祖母の話を聞いて興奮し、いらないことを言ってしまった。慌てて口を押さえたが、祖母はこれを失言とは思わなかったようだ。構わずに続けた。
「私と、おじいさんは幼馴染でね。家は隣同士だったんだ。だから帰る時は一緒。雨の日は、必ずその傘を差していたんだ」
 思い出を脳内で反芻しているのだろうか。祖母はそこで席をはずすと、炊事場に行き、コップに入れたカルピスをふたつ持ってきた。それをちゃぶ台に置くと、一口飲んでから息を吐く。
「けれどね。ある日を境に、おじいさんは番傘を差さなくなったんだよ。まだ十歳の頃の話さ……あれは今日のように暑い日が続いた夏だった。今はこうやって蛇口を捻れば水も出る。けれど昔は井戸だった。その井戸が、雨が降らないせいか涸れてしまってね。水がなければ作物は育たない。人間も家畜も水を飲まなければ生きてはいけない。誰もが、もうここでの生活は無理なのではと思ったのさ。けれどそこで、奇跡が起きたんだ」
 俺が「どんな?」と聞こうとすると、祖母は番傘の入った桐箱を指差した。そして、息を深く吸いこんだ。
「差せば雲わき、回せば風吹き、上下に動かしゃ雨が降る」
 突然、祖母が歌いはじめたことで俺は呆然としてしまう。
「ざんざんぱらぱら、ざんぱらぱら」
 最後は雨が降る擬音語だろう。そこで、祖母は歌を終えると微かに笑みを浮かべた。
「番傘を持って、おじいさんがそう歌うと本当に雨が降ってきたのさ。あの歌は忘れられないよ。そして、おじいさんは雨が降ってきたというのに何故か泣いていたのさ……何故泣くのか、聞いても詳しく教えてくれなくてね。ただ、番傘が呼んだのだと。それから、おじいさんは番傘を差さなくなってしまったんだよ」
 カルピスの中に入った氷が溶けて軽い音を鳴らす。コップには大量の汗。俺は音につられてカルピスを飲むと、祖母に聞いた。
「番傘が不思議な力を持っていたということ?」
「さてね。その答えは、おじいさんにしかわからないよ。光輝、その番傘をあげるよ。家に持って帰っておやり」
 まるで、物ではなく人を扱っているかのような言葉。番傘の話を聞いた俺は、祖父の言葉を思い出した。
『物と友達は大事にしろよ』
「まさか……あの子供と雨造って」
 祖父の言葉。蔵にいた赤目の少年。不思議な番傘に書かれた雨造という名前。少年が俺に聞いたこと。そして、傘の特徴でもある一本足――
『なあ、虎彦は元気にしているか。また遊びたいんだ』
 竹林が風を受けて騒ぐとともに、風鈴が鳴る。
「お前も友達だ」
 背後で声が聞こえたような気がした。
 振り返っても、そこに少年はいない。ただ、湿気のこもった涼しい風が肌に触れていた。
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