思いは記念日にのせて

「これがお礼だなんて安すぎだとは思うんだけどね」
「いえっ、そんなこと」

 わたしのカフェオレを指さしてニカっと微笑まれる。
 またきゅーんってしてしまった。
 だめだめ、おさまれ。わたしの心臓。目の前の男性は他人のものよ。

「あ、名刺渡しておくね」

 ジャケットの内ポケットから名刺入れをさっと取り出すシモダさん。
 名刺もらえるってことはフルネームを知ることができるってこと?
 その時、シモダさんの胸ポケットに入っている携帯が鳴った。

「はい、シモダです……え、何? それ急ぐの?」

 電話を耳に当てながら片手でわたしの方へ名刺を差し出される。
 思わず受け取ってその名刺をガン見してしまった。

 ――霜田貴文

 Tは貴文さんのTだったんだ。
 シモダさんの名字も下田だと思い込んでいたけど霜のほうだったんだ。やっぱ聞いただけじゃわからないもんだね。

「ああ、わかった! 今すぐ戻るから」

 がたっと音を立てて霜田さんが立ち上がる。
 少し苛立ったように通話を切った霜田さんが携帯を胸ポケットに納めるとごめんと肩をすくめた。

「いえ、とんでもないです」
「えっと、君の名前は?」
「え?」
「おーい、霜田! 急げよ!」

 受付カウンターの方で鞄を二つ持ったスーツ姿の男性が地団駄を踏むようにして霜田さんに手招きしてる。

「ごめん、これ捨てておいてくれる?」
「あっ、はい」

 まだほとんど飲んでいないアイスコーヒーを差し出された。

「で、名前」
「霜田ーっ」
「わかったって! じゃあ、ごめんね」

 すうっとわたしの横を通り過ぎていく霜田さん。
 名前聞かれたのにもたもたしてたから言いそびれちゃった。
 せっかくのきっかけを作ってくれたのに――

 そう思った時、わたしは大きな音を立てて立ち上がっていた。

「いっ、イズミです!」

 その背中に思い切って声をかけると、驚いた顔の霜田さんが振り返ってニコッと笑いかけてくれた。

「そか、また四月にここで会おう。イズミちゃん」

 片手を軽くあげた霜田さんが去っていく。
 四月にここで……それは採用されたらの話だよね。
 ずしっと両肩に重石が乗ったかのように感じたのは気のせいじゃないはず。
 それとなんだか違和感。
 今、霜田さん……わたしのことイズミちゃんって言ったよね。

「ああ……違うし」

 絶対勘違いされてると思ったけど、訂正することもできないまま霜田さんは社の外に飛び出して行ってしまった。

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